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あけましておめでとうございます。
今年ともどうぞよろしくお願いいたします。
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企業家は会社こそが大事
官僚は守銭奴
政治家はパフォーマンス
マスコミは数字
みんなみんなお金が好きなのさ
愛より平和よりお金が大好きなんだ
国民は隣の奴見て小さな差別をして喜んでる
悲惨な事件や事故を食事しながら見てる
馬鹿な奴らに視聴率という餌をあげているのは国民
腐った奴らに投票してるのは国民
日本国民の大多数は間抜けだってことだ
多数決で決まったことが正義ではない
正しいことはひとつではない
埋もれそうな悲しみを抱きしめてあげることが人間としてできること
さまざまなマイノリティーが怒りと悲しみを持ってあなたの元へやってくる
テロなのか
無差別殺傷なのか
デモなのか
誘拐なのか
強盗なのか
もっと新しい手段での国家破壊なのか
すべての口座から預金を引き出せ
個人投資家はすべての株式を売れ
不動産はすべて売却しろ
東京に巨大なスラムを作れ
日本銀行が発行する通貨での経済活動を抑えろ
くだらないものは買うな
もう資本主義は死んだ
人類にとっての長い冬の始まりだ
最近、精神科医と話をすると、この社会とのズレを痛切に感じてしまう。
テレビや新聞を見ていても、正常と思われてる人には共感できず、世間からは理解不能だと思われてる人に共感を示すようになった。
人はそう遠くない未来に死んでしまうというのに、何を築くというのだろう。
私は妻に依存している。
妻に生かされているのかもしれない。
妻は私を24時間365日必要としているわけではない。
時々途切れるその瞬間に、私は生きている肉体に仕方なく付き合っている。
まったく関心のないこの世界を、妻というフィルターを通して眺めている。
それで私は一応、笑ったり出来るわけだ。
だから妻のいない時間や、妻の笑わない時間は、早く死んでしまいたいと思う。
自殺なんて簡単だけれども、逃げ出したいほど苦しんでもいない。
散々、生き難い世の中の悪口を言ってきたけれど、人間の歴史は遥か昔から不条理に彩られ、その中でたくさんの人が死んできたのに、こうしていまも人間はこの星に暮らしている。
急速に悪くなるこの世界で、自分の魂以外には縋るものなんてなにもない。
心が醒めてるのは子供の頃からだ。
人と接している時の自分と、一人の時では全く違う自分だった。
相手から反射される自分、それが私だった。
だから妻の表情が曇ると、それは、すなわち、私が曇ってるということだ。
私は錆び付いた自分を許すことが出来ない。
そういうことでは妻は疲れてしまう。
精神科医の言っていることは正しい。
だが、私には正しい行いが出来ない。
最低限やってはいけないことは何とか苦しみながらでも我慢している。
しかし私一人で目的など持てやしない。
夢中のなれるものを考え出すと気が狂いそうになる。
人を欺くような精巧な演技なら出来る。
でもそれは、とても自分を酷い状態にしてしまう。
正直な自分の感情があるとするならば、妻に作ってあげた料理を、美味しいって笑顔で食べてくれる時は、生きている喜びを感じる。
私が存在するささやかな理由がそこにあるからだ。
私の頭の中では、こんなふうに考えるのも妻の負担になるのだろうと考えてしまう。
はっきりと物は言うくせに、頭も心も監視カメラがいっぱいで、気が休まる時がない。
まっすぐ伸びた階段を歩いて周りを見渡すと、無数に入り乱れた階段がある。
だから時々歩くのをやめようかと思うんだ。
躁状態の時には全く迷いはない。
このところずっと躁状態にはなっていない、なんだか現実が見えすぎて、覚悟を決められずに、自分が嫌になることばかりだ。
きみの心を失うのなら
きみを愛する心を失いたい
夫婦二人の生活が
二人の拠り所でないのなら
もう なにも必要でないし
もう 求めるものは見つからない
なにもない真っ白な世界へ
ずいぶんと世の中が動いてきました。
インターネット革命は凄いと実感しています。
既存の媒体ではインターネットの悪い側面ばかりが報道されていますが、それはメディアという巨大権力の上に胡坐を書いてきた人たちの恐怖感から来るものでしょう。
知るということは崇高なことだといつも思っていますが、間違ったことを知るということは愚かなことです。
ただ、事実や真実を知ることは気持ちの良いことばかりではないし、苦しむことも多いです。
でも、そこから逃げないことは、心が豊かになるための通過儀礼だと思っています。
テレビ、雑誌、新聞、政治家、官僚、大企業、国民を不幸にする5大悪と名付けたい。
テレビは本当の真実を隠して、世の中の鬱憤を特定の何かに押し付けている。
例えば、麻生総理を批判することで、それでマスコミを国民の味方に見せようとする。
麻生総理を担いだのは自民党だ。
自民党を担いだのは国民だ。
マスコミは国民の無知をしっかりと見せなければならない。
麻生太郎という男の欺瞞は、10年以上前から解かっていたはずだ。
テレビ界にとって経団連は怖いね。
トヨタの奥田碩は日本を憂慮してマスコミの報道姿勢にイチャモンをつけた。
実はこれ、大企業を憂慮してるだけだ。
ようは5大悪という家族内の利益のことでのいざこざだ。
私は、子供の頃、国民年金と厚生年金とあまりの違いに驚いたことがある。
それは自民党と大企業が結託して個人で働く人たちを駆逐していくひとつの方法だと思った。
高度経済成長期から現代にかけて、農家、漁師、商店、職人が激減していった。
巧妙に国民を操るシステムを作り上げていった。
管理社会だ。
欲望を満たすことが幸せなことだとずっと教えられてきた。
ずっと欲望を満たすことなんて不可能だ。
必死に働いて5大悪に貢いで死んでいく。
大日本帝国主義から欲望が支配する世界と変わった。
日本での自由などというものは、金魚が水槽の中で自由に泳げるというようなものに過ぎない。
金魚自身が人間の手によって創られたものだということを知らない。
前置きが長くなったが、5大悪が恐れるもの、それがインターネットだ。
テレビも新聞も雑誌も政治家も官僚も触るこのできない情報の玉手箱だ。
大麻問題を例にとると、世界で比較的自由に吸うことができる。
主な大学の研究機関やアメリカの保健省、医学研究機関が長年にわたる調査で出した結論は、タバコやアルコールよりも依存性がなく身体や精神にも害はないと発表している。
そのことを良く知っている若者に罪悪感がないのも当たり前だ。
いまや大麻は医療品としての価値も先進国において見出されている。
こんな趨勢に困ったのは、製薬会社、タバコ産業、アルコールメーカー、石油関連企業などである。
困った越後屋(企業)は悪代官(政治家・官僚)と結託して、人斬り弥太郎(マスコミ)と十手持ちのさぶ(警察・麻薬取り締局)に殺しと社会的抹殺を命令する。
大麻は種を蒔けば雑草のように生えてくるのだ。
これほど政府にとって怖いものはない。
これほど庶民の財布に優しいものはない。
とてもわかりやすいので、大麻を例に出したが、5大悪によって、さまざまな国民操作がされている。
銀行の救済なんてのは酷いね。
国民の金を預かって、ギャンブルに投資して、儲かっても利息なんかないに等しい、それなのに行員や銀行幹部は普通の人よりはるかに給料が高い。
挙句の果てに、損をしたら税金で賄うのはおかしい。
確かに経済に与える影響はわかるよ。
利息もないのに税金で取られてたら預けてマイナスになるという馬鹿を見る。
郵政民営化で一番怖いのは、預けた金でアメリカや日本の借金の肩代わりをすることだね。
手持ちの預貯金をユーロとドルに両替してスイスの銀行に送金してみると面白い。
さて、国民のうち何人がそれが可能なのか?
預けた金なんて銀行の手持ちにないんだよ。
銀行は当然株を売る。
当然株価は下がる。
円の価値も下がる。
だから最後まで円を持ってた人は最悪だ。
話を戻します。
さっき、農家、漁師、商店、職人を失ったって言ったけれど、ヨーロッパはしっかり残してるんだ。
だから食料自給率も高い。
最悪(戦争、災害、テロなど)の場合、政府や役人がいなくても、生活していける社会を残しておきたい。
サラリーマンばかりじゃやばいよ。
インターネットのお話・・・
何のために使うのかがしっかりしていればこれほどの武器はない。
浜田省吾が20年以上前にコンサートで曲の間に言った言葉が焼きついてます。
~略~
すぐ目の前にある慰めを愛だと思い
夢中になれるものを夢だと思って手に入れてしまう
だけどやがて少しずつ大人になっていき
初めて本当の愛や本当に欲しかったものに出会ったとき
人は時にそこからは遠く離れてしまっていることがある
~略~
ドラマ”風のガーデン”でも本当に欲しいものが、本当に大切なものが描かれていて、毎回、妻と泣いています。
テレビの報道番組などで見かけた”姜 尚中”の発言が心に響いて、本を読み始めました。
こういう人を聡明と言うんだろうな。
冷静な物腰なのに、かなり精神的苦労をしてきたのがわかる優しさを持ち、ゆるぎない自信がある。
インターネットは読み物ではありません。
私は時間が掛かるから横組みが嫌いなんです。
インターネットで下調べをして深く知りたい時には本を読む。
新聞やテレビで大衆の流れを知る。
世界を取り巻く状況は、単純に言い表せるものではないのは自明だが、敢えて論理的ではなくムードで語ってみようと思う。
そう書いていてきっと論理的になるのでしょうね。
ただ、何かの本に書いてあったことではなく、まったくの私の主観です。
アメリカに端を発する金融危機については、なにもサブプライムローン問題が主要な原因ではないと思う。
そもそもお金でお金を作り出しても、何も生産などしないのである。
お金はただの紙切れにすぎないことを人は皆忘れてしまって、ゲームの中でアイテムを取得するようなもので、電源を切ってしまったら、それは何もなくなってしまうのである。
ゲームをどれだけ頑張ってもお腹はいっぱいにはならないのだ。
金融立国アメリカは基軸通貨の座を失えば、どれだけドル紙幣を印刷しても、生命としての人間を維持できなくなる。
さて、では生産ということで言えば、先進国においては、これも限界に達している。
生産性が向上すればするほど、物の価値はなくなり、不必要なものがあふれかえって食傷気味だ。
それに生産するということは、限りある資源、すなわち資源価格の高騰は何も投機的だけの問題ではなく、いつかはなくなってしまうことを意味する。
家庭では要らない物を買うために人生働き通しという状態に陥っている。
そして世界共通の財産(資源)を食いつぶしながら・・・
そして火星や月といった誰のものでもない星に目をつけ、世界は新たないがみ合いへの道を進んでいる。
豊になりたいという私たち人間の営みは、実は破滅への道を歩いていたに過ぎない。
途上国の人たちにこの論理は酷かもしれない。
私だって、会社を経営して好きなように消費を謳歌して、そして何もかも失って、いまこのような境地に達したのだから、欲望を叶える快感の最中には理解に苦しむ論理だと思う。
アフリカのように子供たちが次から次へと死んでいってしまって、悲しい状況を変えたい状況は、欲望以前の問題で、人間の本能に根ざす欲求だ。
ただ先進国が歩んできた道は、欲求がやがて欲望に変わり、宗教や哲学や道徳や愛の価値を欲望より過小評価してきた歴史でもある。
人間はどこで満足するべきか、どうしたら満足できるかといった問題でもある。
こうして書いている私は、前を見ながら後ろを見て、そしてため息をつきながら天を仰いでいる。
人間の進歩は人間の退行と背中合わせである事実に、途方もない疲れを感じている。
私は社会学者でもないし、心理学者でもない、ましてや経済学者でもない。
ただ新聞やニュースを見て思うことは、銀行がつぶれる、証券会社がつぶれる、自動車会社がつぶれる、企業の不祥事や、政治家の問題など、いつでも起こりえるということだ。
資本主義も民主主義も人間の欲望の前ではあまりにも非力だ。
ダーウィンの進化論に従えば、人間もまた自然淘汰されて生き残る種族だけが生き残るのでしょう。
新たな種族の出現はもう始まっているかもしれません。
何かに頼って安全や安心を求めるということは、自分の努力も虚しく、砕け散る危険と背中合わせだということだ。
それでは一生不安は解消されない。
死んでしまったら最大の安心を獲得できると理解できている人は、不安で人生を送るのではなく、満足しながら人生を送ることができるかもしれません。
そう思える人は慌てて死ななくてもよいのです。
いつも思います、妻と笑顔でご飯が食べられる幸せを・・・
欲望や不安に襲われない日はないけれど、幸せとは何かを考え続けようと思っています。
私は双極性障害をもう10年以上わずらっております。
苦しいことの連続ですが、その代わり物事を心の目を通して見られるようになって、真実への階段を一歩ずつ踏み出しています。
政治家やマスコミの欺瞞を見抜くことにも長けてきました。
精神障害者や知的障害者はある意味すごいなと感じています。
当の本人たちはもがき苦しんでいますが・・・
さて、私は先日亡くなった筑紫哲也さんが好きで、ニュース23をずっと拝見してきました。
筑紫哲也さんが番組を降板した時には、もう見るのをやめようかとも思ったのですが、引き継いだ後藤謙次さんの人柄や膳場貴子さんの聞き心地のよいアナウンスに心惹かれて、今でも眠い目をこすりながら拝見しております。
11月13日放送分の大麻問題の報道姿勢に疑問を持ったのでメールをしました。
最初に結論ありきで情報を集めに行っているのはこの番組らしくありません。
番組スタッフの姿勢が番組出演者の顔を作ってしまいます。
大麻については、過去に筑紫哲也が井上陽水に絡めて発言したことがあります。
もう一度確認してみてください。
彼は否定も肯定もしてないはずです。
事実と真実を述べたのです。
批判を恐れずに。
高野孟や、そのほかの著名人も大麻については肯定的な意見を持っています。
あれから大麻の研究は進歩して、世界的において、社会的にも医学的にもほぼ認められきました。
大麻のことを詳しく論ずるのは、大変な作業なので、以下に日本での先進的なサイトを記しておきます。
普段テレビという媒体を信用しない主義の私ですが、ニュース23にはとても期待していますので、がんばってという意味を込めてメールをしました。
テレビへの危機感の現れは、筑紫哲也さんが去って久米宏が復活してきたということでしょう。
久米宏の番組のあとにニュース23があるというのは偶然ではないはず。
真実を語るというのはとても大変な作業です。
真実がいつも少数派の中に紛れ込んでいるからです。
筑紫哲也は”論を愉しみましょう”という言葉を遺して逝ってしまいました。
右よりな論客が増えていく中で、彼は批判を恐れずに少数派の意見をメディアに乗せようとした。
民主主義をよく理解していた。
民主主義は単なる多数決ではないのです。
多数の意見が常に正しいわけではないのです。
だから世の中を冷静に見ながら正しい方向へ進んでいくということは大変なんだ。
論を愉しめるということは隣人を理解することにつながると思う。
やはりリベラルなオバマがやろうとしていることもそうなのです。
断っておくが偏狭なリベラルは、本来リベラルではない。
保守派の人たちをも包むキャパシティーの広さが要求される。
最近、私は誰に会っても理解するということができずに、とても精神が疲労する。
私の”論”というものがマスターベーションのように、誰かにコミットメントすることもなく、虚しく空中で砕け散っている。
とても論を愉しむどころではない。
世の中とのずれを感じる私は傲慢であろうか。
思い上がりであろうか。
過剰な理解と過剰な体験が、私をこの世から遠ざける。
妻にはこう言われてる。
「ひとつの話が、無限に深く広く広がりすぎるからついていけない」
それが高速過ぎて、それでも頭の中に浮かんだ言葉たちの大部分は捨てている。
捨て去った言葉たちは新たな知識と理解を形成して、新たな言葉たちを創りだす。
文章にすればいいのだが、やはり早すぎて文章にならない。
夢の中で夢を見ていて、Aさんという人が私と相反する思想を持っていて、私を論破する。
Bさんという人はAさんの仲間で、やはり私の意見に反論するが、私は言葉巧みに質問をして、私の意見を論破するには、どうしてもAさんの考え方を否定しなければならないパラドックスを作りだす。
自己矛盾を突きつけるのだ。
そして私は目が覚めて、どうして私はこのような夢を見るのかと自問する。
悩んでいる夢を見ていた私はやっと本当に目が覚める。
なんだか眠っている間も脳は加速している。
躁鬱病ならではなのだが、加速する行動には制限をかけられるようになったが、思考だけはなかなか制限がかけられない。
アルコールも思考抑止には役に立たない。
マイナートランキライザーも大して効きやしない。
久しぶりに営業という仕事がしたくなったけれど、そんなことをしたらたちまち躁状態になることは目に見えている。
本当は、海外の田舎町に行って、のんびりガンジャをくゆらすのが一番だろうけど、あいにく資金がない。
仕方ないのでトランキライザーのカクテルでも作って脳を沈めて、誰かと論を愉しむことにしよう。
私は10年前、20年前、どのように世界を見ていたのだろう?
目の前にある事象に目を奪われて、この世の存在すら忘れていたような気がする。
アメリカのダイナミズムを久しぶりに感じた。
必ず自浄作用を失わない国だと・・・
日本の政治家に足りないもの、それは崇高な理念、崇高な愛なのだ。
私は選挙ボランティアに参加することになっているが、いまだ衆院選挙は遠い。
アメリカ大統領選を追いながら、つくづく羨ましいと思った。
ブッシュの子供が、大統領になった時にはアメリカ人はどうしてしまったのか本気で心配になった。
戦争が起こらなければいいが・・・と思っていたら911が起きて、戦争の口実を与えてしまった。
ビランディンとブッシュは家族ぐるみの付き合いだったのにね。
これは私の憶測であるが、ビランディンはブッシュの手によって匿われている気さえする。
まぁ、退場した人のことはもういいよね。
オバマの思想や理念を詳しく知っているわけではないけれど、演説からは何か感じるものがあって不覚にも涙してしまった。
そう、ジョン・F・ケネディの演説のような、知性と慈悲に満ちたような・・・
日本は今こそ主体性を持ってアメリカと付き合っていかなければならない。
アメリカ人は自らアメリカを変えようとしているのだから・・・
日本人は政治家に何かを与えられるのを待つのではなく、何を理想に掲げるのかを考えなければならない。
理想が積み重なって、政治家を創るのではないだろうか。
金で買えるようなものは理想でもなんでもない。
テレビという媒体を馬鹿にしてから20年以上は経つと思うが、久しぶりに精神がゾクゾクするような番組に出会えた。
ここまで書いてわかる人にはわかると思うが、そう、”風のガーデン”だ。
偶然に番宣で知ったドラマで、脚本は倉本總が書いているので間違いはないと楽しみにしていた。
テレビ局はやればできるのである。
大衆に迎合なんかして、コミックドラマや下劣なバラエティなんかを作る必要などないのである。
崇高な志を持って番組を創り、視聴者を引っ張っていってもらいたいものである。
という私が見ている番組は、
小児救急
たかじんのそこまで言って委員会
よしもと新喜劇
ニュース23
サンデープロジェクト
サンデーモーニング
久米宏のテレビってヤツは
新婚さんいらっしゃい
だいたいこんな番組を見ています。
あとはCS,BSを見ています。
さて話を戻して”風のガーデン”ですが、”北の国から”と連続した人生ドラマのような気がしています。
中井貴一がこんなに凄い役者だとは知らなかった。
そして緒方拳、言うまでも無い素晴らしい役者ですが、この作品が遺作となったことは、彼も天国で幸せを感じてるに違いありません。
話題作りで3流タレントが出ているドラマとはわけが違います。
まぁ、私がへたくそな文章であれこれ書くよりも、役者さんの記者会見を見てください。
番外編として、スカパーで”俺たちひょうきん族””ドリフの大爆笑””トムとジェリー”なんかを見ています。
精神科医から、あまり頭を使わないように言われてるので、ぼけ~っと見ています。
本もなるべく難しいのは読まないように心がけています。
なかなかぼけっとできない性格なので、眠るぎりぎりまで本を読んでいて、妻に叱られていますが・・・
「電気を消しなさい」ってね。
すべての人が幸せになどなったら進化は訪れないのか
時間の中を生きてる私たちは、束の間を握り締めて涙を流す
取り返しのつかない過去を引きずって、未来を創造する
そして取り返しのつかない未来を嘆く更なる未来が待っている
サイケデリックスを摂取して、いま一瞬を思うとき、私の脳は混乱する
通常の100倍の速さで思考は駆け巡る
私は哲学者となって、発狂寸前のところで彼女の手を握り締めて宇宙の時間を知る。
あの頃の記憶を保持したまま、私は人の世と対峙する
妻は私の話の半分も意味が解からないと言う
側頭葉の稲妻を彼女に放電して楽になろうとしている私は利己主義者なのか
私はいつも言い訳している、心理的利己主義者だと
夢の中でも考え事ばかりで
いつも疲れてばかりで
目覚めると妻の寝顔がいつものようにそこにあって日常の中の一員だと自覚する
天才には精神病者が多い
脳に、特に側頭葉に問題を抱えてる
天才じゃない私は気が狂う間際で遊んでる
睡眠時間が極端に減ってくると、じれったいほど世界は遅い
妻の言葉が現実の世界
主観の暴走を止められるのは彼女だけ
私は世界を疑っている
人間の営みを疑っている
私にとってサイケデリックスは危険だ
だから怖くてずっと摂っていない
真実はとても残酷で人間の脳で理解できるものではない
だから有益でないとは言えない
ネガティブなものであっても真実を知ることは必要だ
臨死体験で得られたあの真っ白な甘美な世界に憧れたが、あれ以上は死を意味する
血だらけで救急車で運ばれたあのときが、人生の中で最高の静寂だった
妻が医者から今晩が峠ですと言われている最中、私は穏やかな雲の中
私の幸せが誰かの不幸を招く
慌てなくても、いずれあの世界に逝けると腹を決めて、旅を続けてる
喜びのあとに悲しみが来ることを知っていても、笑えるようになった。
一緒に笑ってくれる人がいるから笑えるようになった
金持ちも貧乏人もいずれ必ずあの世へ逝く
悲しみも喜びも、溶けてなくなる
脳にはインプットとアウトプットがあるが、消去という機能もある
インプットばかりだと気が狂ってしまう
アウトプットは一歩間違えると最悪の事態を引き起こす
戦争や確信犯がそうだ
幸せなのは消去をうまく使いこなすことではないかと思うようになった
それで穏やかなのだが、上手に使えるところまではいってない
だからこんな文章を書いているわけだ
世の中の針は左に振れてきたが、いずれ右に振れるときが来るだろう
私がどんな思想を持ったとしても、私は利己的で心理的利己主義なのは変わらない
私が妻のために死んだとしても、それは私のために他ならない
世界の裏側の人のために私は死ねないし、蝿のために死ねない、タンポポのためにも死ねない
だから世界の人々は自分や自分の大切な人のために誰かに犠牲を強いる
妻にユートピア思想の話をするが、私は人間から欲望は無くなりはしないと思っている
やけくそになった人間が核兵器のボタンを押さないように、不幸な人間を作らないようにしなければならない
思想や宗教や民族や利害で対立などしないで、訳のわからない人間を理解する努力が必要だ
それが自分の利益だ
心理的利己主義とはそういうことだ
書くことはとても簡単で、実行するのは途方も無い
何度も言う、欲望と感情が高度に発達してしまった人間という生き物は簡単には変われない
きのこと草と本物の芸術家によって簡単に変われたりして(笑)
日本人のレベルが低下している。
いや、経済格差と同じように、精神格差が広がっているのであろう。
日本が、世界が、どうなっているのかを知るには、精神的に疲れて思考停止に陥るのも無理はない。
世界大恐慌、大いに結構だ。
政治や経済や国際情勢に目を向けなかったこの国の結末だ。
垂れ流される情報の意味をしっかり考えないといけない。
国民の預貯金が吹っ飛ばない限り、この国では大規模なデモも起きない。
あなたの預貯金が株という名のギャンブルにつぎ込まれ、日本政府やアメリカ政府の借金の肩代わりをしている事実に目を向けるべきだ。
預けたお金がいつでも引き出せると思っているあなたはかわいそう。
あなたが銀行からお金を引き出す時、あなたが支払った税金から引き出される。
金融屋は一切責任を取らず、豪邸で暮らしてる。
人間にとって必要なものは食料と愛である。
世界の最終局面としてキャッシュは意味を成さなくなるかもしれない。
知り合いがタイでユートピアのようなコミュニティを創っている。
友人が農家をしている。
いざとなれば、生活はしていけるだろう。
金融工学だなんてもてはやされても、それは賢者とは言えない。
賢者とはどんな状況になっても生きていける人だ。
そして死にゆく時も、穏やかであり続ける人だ。
自分の棺おけに、ゴッホの絵画を入れてくれと言う馬鹿な事業家は、最後まで不幸な人間と言える。
金!金!金!と叫ぶ人間は、大きな不安に取りつかれているものだ。
文明の発展も人間の不安とともにあった。
歴史を顧みれば、よい時代というものは永続しない。
地球や宇宙から考えれば、人間というものの存在さえよいものとは言えない。
環境問題なんていう言葉も、人間の視点でしか語られない。
人間の営みも、何か強大な力に影響されているような気がする。
こういうふうに書いていても、まったく意味を見出せずにいる。
世の中の事情とは反対に、私の精神状態は人生の中で最高に穏やかである。
ただ、この国は非常につまらなく生きにくい社会であることに代わりは無い。
だから、この国が求める価値観とは違う生き方をしてきた。
やっぱりなんだかすっきとしない文章だ。
私が感じることは、妻に何もかも毎日話しているので、書くということがなかなかできずにいる。
中途半端ながらここに何かを残しておこう。
はなさんが遊びに来るので、ギターを引っ張り出して、譜面を眺めて、これは大変だと思う反面、音楽っていうのは心地いいものだなって感じてる。
そうは言っても、2週間で一曲弾くのはどう考えても無理だ。
You Tube で弾き語りを検索して、その気にはなっている。
楽譜は尾崎豊と浜田省吾しかなく、ひとつ上の世代にとってのビートルズのように、尾崎と浜省に影響を受けた私は、多分死ぬまでこの二人を聴き続けるのだろう。
すっかりおじさんになった私は、情報を自ら取りに行かないので、商業的な音楽しか耳にすることがなくなった。
きっとどこかに鋭く切れるアーティストがいるに違いない。
良質なものが売れるとは限らない世の中で、音楽をやっていくというのは大変なことで、それは音楽だけとは限らない。
1988年、東京ドームでの尾崎豊のコンサートに行った。
内包する孤独の上に、大人たちのずるさと、ニューヨークで見せつけられた絶望と、覚せい剤で見たこの世の真実をまとって、尾崎は歌った。
大人になるってことは諦めること。
そして、涙が消えてなくなるほど悲しい世界なんだというような目をしていた。
このとき、私は18歳、バブルの浮かれと無縁だった私の人生は、成人する前に未来に対して失望していた。
だから、世界や日本や大人たちに警告を発する尾崎や浜省の創る歌を聴いては泣いていた。
もうどこへも逃げる場所はない。
砂漠の中を一人歩いてる。
こんなところでは気休めなどいらない。
とにかく歩けなくなるまで歩くしかないんだ。
ゴールは、俺の身体が朽ち果てるときに見えるだろう。
苦悩とは自らでしか、その存在を知ることはできない。
辿り着いた砂の丘は、一瞬で崩れ去る。
泣いても喚いても誰も来ない砂漠の中では、案外安らかな顔をしてる。
それでも尾崎豊のシェリーを口ずさめば涙がこぼれる。
もう何もないのに泣けるのは、何かを想像してしまうから。
悲しみと辛さと喜びと嬉しさは、ひとつの涙となって流れていく。
いくつもの感情は、ただの感情のオンとオフでしかなかったことに気づく。
あの時もその時も、感情がオンだった。
そして今もこうして尾崎を歌えば、荒涼の中、感情がオンになる。
時の感覚が狂って、悲しみと嬉しさが解けあったいま、俺は感じてる。
感じさせてくれるすべてのものに、涙を流してる。
荒れ果てた大地で、飢えと乾きに、生を感じてる。
いま、俺は生きている。
何が正しいのかなんて、周りを見渡しても見つからない。
私という主観が辿り着く正しき道は、自分の心の中に灯る温かな光。
しかしそれとて、いつも同じ姿なんかしてなくて、私は知らず知らずのうちに過ちを繰り返す。
いま言えることは、私も他人も間違いを犯すってことだけ。
だから、これが正義だなんて胸を張って言うことは、時に滑稽に思えてしまう。
私は私の信念に基づいて生きていく。
自分を信じて生きていくためには、真実を積み重ねていかないと、顔を上げて歩けなくなってしまう。
秋の舗道を歩いていると、胸を張って歩く自分の長い影が、自分の心は本当なのかと問う。
薄っぺらな価値観に支配されてはいないかと不安になる。
傍を歩く妻と長い影が重なり合う瞬間に、長い道のりの過程にはそれでいいと頷く自分がいて、穏やかな気持ちになる。
真実への階段を歩く途中だから許してくれるような気がする。
妻と手を握り歩き出してから、不完全な自分を許すことができるようになって、ゆっくり歩いて行ける。
寒くなってくると、優しい温かさが心を満たしてくれる。
普段、部屋の隅に置き去りにされていたものが、なんだかとても大切に思えてくる。
経済大国でなくていい、穏やかな顔で大切なものを抱きしめられる国であればいい。
そう、ささやかなのがいい。
秋は、落ち着いて考えればいい。
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