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2008.11.15

欲望に依らない満足とは何か

世界を取り巻く状況は、単純に言い表せるものではないのは自明だが、敢えて論理的ではなくムードで語ってみようと思う。
そう書いていてきっと論理的になるのでしょうね。
ただ、何かの本に書いてあったことではなく、まったくの私の主観です。

アメリカに端を発する金融危機については、なにもサブプライムローン問題が主要な原因ではないと思う。
そもそもお金でお金を作り出しても、何も生産などしないのである。
お金はただの紙切れにすぎないことを人は皆忘れてしまって、ゲームの中でアイテムを取得するようなもので、電源を切ってしまったら、それは何もなくなってしまうのである。
ゲームをどれだけ頑張ってもお腹はいっぱいにはならないのだ。
金融立国アメリカは基軸通貨の座を失えば、どれだけドル紙幣を印刷しても、生命としての人間を維持できなくなる。

さて、では生産ということで言えば、先進国においては、これも限界に達している。
生産性が向上すればするほど、物の価値はなくなり、不必要なものがあふれかえって食傷気味だ。
それに生産するということは、限りある資源、すなわち資源価格の高騰は何も投機的だけの問題ではなく、いつかはなくなってしまうことを意味する。
家庭では要らない物を買うために人生働き通しという状態に陥っている。
そして世界共通の財産(資源)を食いつぶしながら・・・
そして火星や月といった誰のものでもない星に目をつけ、世界は新たないがみ合いへの道を進んでいる。

豊になりたいという私たち人間の営みは、実は破滅への道を歩いていたに過ぎない。
途上国の人たちにこの論理は酷かもしれない。
私だって、会社を経営して好きなように消費を謳歌して、そして何もかも失って、いまこのような境地に達したのだから、欲望を叶える快感の最中には理解に苦しむ論理だと思う。
アフリカのように子供たちが次から次へと死んでいってしまって、悲しい状況を変えたい状況は、欲望以前の問題で、人間の本能に根ざす欲求だ。
ただ先進国が歩んできた道は、欲求がやがて欲望に変わり、宗教や哲学や道徳や愛の価値を欲望より過小評価してきた歴史でもある。
人間はどこで満足するべきか、どうしたら満足できるかといった問題でもある。
こうして書いている私は、前を見ながら後ろを見て、そしてため息をつきながら天を仰いでいる。
人間の進歩は人間の退行と背中合わせである事実に、途方もない疲れを感じている。

私は社会学者でもないし、心理学者でもない、ましてや経済学者でもない。
ただ新聞やニュースを見て思うことは、銀行がつぶれる、証券会社がつぶれる、自動車会社がつぶれる、企業の不祥事や、政治家の問題など、いつでも起こりえるということだ。
資本主義も民主主義も人間の欲望の前ではあまりにも非力だ。
ダーウィンの進化論に従えば、人間もまた自然淘汰されて生き残る種族だけが生き残るのでしょう。
新たな種族の出現はもう始まっているかもしれません。

何かに頼って安全や安心を求めるということは、自分の努力も虚しく、砕け散る危険と背中合わせだということだ。
それでは一生不安は解消されない。
死んでしまったら最大の安心を獲得できると理解できている人は、不安で人生を送るのではなく、満足しながら人生を送ることができるかもしれません。
そう思える人は慌てて死ななくてもよいのです。
いつも思います、妻と笑顔でご飯が食べられる幸せを・・・
欲望や不安に襲われない日はないけれど、幸せとは何かを考え続けようと思っています。


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