2008.08.20

終戦記念日と大麻

先日、ロシア出身の力士が大麻で逮捕されたけど、日本伝統文化である相撲界ということを考えると大麻使用は目くじらを立てることではないような気がする。
特に神道と大麻は密接な関係があるのだから。
しかし、いくら悪法だとしても大麻取締法がある以上、罰せられるのは当然と言えるので、社会的地位のある者が、制裁を与えられるのは当然かもね。
私も海外に行くとティータイムのように普通に、大麻を吸ったり食べたりする。
若者の間に大麻栽培が激増しているのは、自家菜園で手軽に作れる嗜好品だからだ。
少ない賃金なのに、この国で遊ぶには金がいくらあっても足りない。
それに若者の海外旅行のスタイルは、ツアーではなく、ジャーニーやトリップなのである。
現地に融けこめば融けこむほど、大麻が生活の一部だということを知る。
日本でも、諸外国並とはいかないが、大麻解放運動が高まってきた。
それを阻むのは経済界と、その美味しいおこぼれにたかる自民党を中心とした政治家と官僚だ。
なにしろ、大麻があれば、お金をかけなくても人生ハッピーなのだから。

今年の夏は、戦後を境に日本人がどう変わってしまったのかを中心に物事を考えてきた。
結論から先に言えば、いまだ日本はアメリカに支配されたままで、大和の国は復活してないということ。
お小遣いだけたくさんもらって、アイデンティティも獲得できないひ弱な国になってしまったということ。
私が感じてきたことを、文字にするには時間が何年あっても不可能なことに思われるので、抽象的なことしか書けないけれど、それは、興味を持った人が各各の視線で、さまざまなジャンルからこの国日本を勉強してほしい。
そして戦後、押し付けられてきたもののひとつに大麻取締法がある。
文化を否定されることは、あなた自身の性格を否定されたのと同じことぐらい憤りを感じるものだ。

マリファナ関連の書籍は世界中から膨大な数が出版されている。
私はかなりの数を読んだ。
もちろん否定的なものから肯定的なものまで、中立的なものまで、各界の学者が書いたものから、1ユーザーが書いたものまで。

その膨大な世界のほんの一部を、、、
以下、参考までに。

「大麻とは、何か?」
話し手 弁護士丸井英弘
反訳 森崎秋子、タイプ 丸井英弘

Perfect TV モンド21 1996年12月放送「大麻とは、何か?」から。

◎ 大麻取締法を問うNHK大麻報道是正裁判の第1回公判が12月11日東京地方裁判所で行われます。そのNHK大麻報道とは、一体どのような番組だったのでしょうか。
 本年の3月27日にNHKの総合テレビで放映された番組なんですが、この番組の内容と表題を問題にしています。「若者に広がる大麻汚染」という表題の番組で、内容としましては、大麻を麻薬という観点から紹介しているものです。

◎ 一体大麻とは何なのでしょうか?

番組制作者二人の会話

「今日は、皆さんおまちかね、マリファナ特集」
「いわゆる、大麻、ガンジャ、はっぱ、草、なんていわれている例のアレですね。アムステルダムでは、OKだけど、日本では未成年者の喫煙がきんじられているという。」 「こらこら、未成年ではなく、日本ではすべての人の所持も販売も喫煙も大麻取締法で禁じられているのだ。立派な犯罪行為なのである。」
「でも、大麻は煙草やアルコールと比べて害が少ないと言う人もいますよね。
アムステルダムのように個人の使用に関しては、罪を問わない所もある。」
「しかし、法律で禁止するには、それなりの理由がきっとあるはずだ。」
「ドラックには、プラスとマイナスの二面性を持っている。それとどのように関わるのかは、人間の知恵次第ということですね。」
「それでは、Have a nice trip !!!」
 二人で「大麻とは何か?」

 私は、1974年から弁護士をやっておりますが、始めて大麻の事件を受任したのは1975年です。それ以来約22年間、大麻の事件を弁護してきましたが、刑事事件というのはですね、当事者にとっては真実を語ることが非常に難しいという状況にあります。例えば、大麻について「害がない」ということを主張しますと、「反省していない」ということで、刑が重くなるというようなこともありえますので、当事者としては真実を語れないというのが現状です。そこでですね、私はこのような現状をなんとか打破したいと考えていましたが、やはり、一番の影響力を持つのは「マスコミ」です。その中で、NHKが大麻に関して、正確な報道をしていないということが、世論そして裁判所を含めまして、大きな影響を与えていますので、これをなんとか是正させたいということから私は裁判を起こす決心をしたのです。

◎大麻が麻薬ではないという根拠は何ですか?

 実はですね。「麻薬」と言う言葉自体、その意味が非常に不明確な言葉だと言えます。といいますのは、「麻薬」の「麻」というのは、「麻酔薬」からきたと思われます。ところが、「大麻」の「麻」は「アサ」のことです。日本でも昔から親しまれてきた「アサ」のことを大麻といいます。したがって、「麻薬」の「麻」と「大麻」の「麻」は、まったく違う概念です。そこが、一番大きいと思います。
 それから、麻薬というものを定義づければ、、通常は、いわゆる身体的依存、つまりそれをやめると体に禁断症状が起こったり、その他、体に異常な反応が出ますね。それを身体的依存といいますが、こういうものがあるということと、そして、強い精神的な依存性がありまして、それをやめると禁断症状が起こり、さらにその薬物を求めて他の犯罪を誘発する、そういうものを麻薬と言っていると思います。そのような観点からみると、大麻にはいわゆる禁断症状はありません。
また、精神的な依存も、これは「大麻が好きだ」ということは言えますが、それ自体は、日本料理が好きか、フランス料理が好きかということと変わらず、格別に弊害があるものではありません。
また、大麻自体を原因として狂暴な行動に走ったり、何か犯罪に関係のある行動をするということもありません。このことに関しては、過去多くの研究論文が出されておりますが、その中でも明らかにされています。また、私は、過去20年以上に渡る弁護活動の中で150件以上の事件を担当しましたが、その中で、ひとつとして大麻を理由として具体的な弊害、例えば人を傷つけるとかですね、そのような弊害は、まったくみられませんでした。まあ、そういう観点から私は大麻というのは麻薬ではないという風に思っています。また、麻薬取締法というものがありますが、その麻薬の定義の中には、大麻は入っていません。
 大麻は大麻取締法という、麻薬取締法とは別の法律で規制されています。そして、そこでいう大麻の定義としては、大麻草(カンナビス・サティバ・エル)と記載されています。エルというのは、植物学者のリンネのことです。そして、カンナビス・サティバ・エルとはリンネが発見したカンナビス属のサティバという種のことであるということです。この定義からしましても、大麻は麻薬ではありません。

◎ 大麻は安全なのでしょうか?

 大麻は、例えば、最近ハーバード大学の医学者であるレスター・グリーンスプーン氏とジェイムズ・バカラー氏の著書の日本語訳が、「マリファナ」という表題で青土社から出版されましたが、その中でも指摘されていますように大麻には致死量がありません。薬物の危険性というものは、通常は致死量で決まると思います。そいう観点からみますと、大麻は非常に安全なものであるということが言えると思います。グリーンスプーン氏とジェイムズ・バカラー氏もこの訳本「マリファナ」の240頁で「自然のままの状態を保持しているマリファナはおそらく私たち人類が
知りうる限り治療効果のある、もっとも安全な物質であろう。」と述べられています。

  ◎ 日本人と大麻の関わりを教えてください。

 え~、大麻はですね。これは、人類の文化発生と共に栽培されてきたものと思われます。例えば、日本の福井県にある鳥浜遺跡という1万2000年位前の縄文遺跡の中にですね。大麻の種が発見されています。また、縄文土器も模様は麻縄を押し付けて作ったと言われています。このように、>大麻は古くから日本人に親しまれてきたものです。日本では、神道において伝統的に大麻とは神様の印とされてきました。伊勢神宮のご神体である天照御大神すなわち命の源である太陽の御印が神宮大麻すなわち神が宿る大麻といわれています。そして、実際に、第2次大戦前はいうまでもなく現在でも、多くの家庭で大麻の繊維でできている大麻のお札を神棚にお奉りしているのです。第2次大戦前には、大和魂とは大麻のことであるとされ、また、現在においても神道では、大麻は罪・けがれをはらう神聖な植物であるとされています。したがって、第2次大戦後の占領政策の中で神道との結び付きの深い大麻に対して占領米軍が危惧をもち、また当時発達しつつあったアメリカにおける石油化学産業や木材パルプ産業の意向をうけてその市場の確保という経済的思惑などを背景として、大麻の規制が行われたのではないかと思っています。
 実は、私は、弁護の過程で、昭和12年に発行された「大麻の研究」という本があることを知りました。この本は、栃木県の人が書いたものですが、大麻について、非常に詳しく書いてあります。これを読むと第2次大戦前は、大麻の栽培が奨励されていたことがわかります。また、私は、1年程前に友人の紹介で1920年代の栃木県の様子がわかる絵を発見しました。この絵は、1929年の第16回二科展に発表された清水登之氏の「大麻収穫」という絵です。これをみますと、当時の日本の農村の風景がよくわかりますが、一面の麻畑です。このように日本人に非常に親しまれてき
た大麻がですね。戦後のアメリカの占領政策の中で規制されたということが、この絵をみればよくわかります。
 実は、多摩川という川がありますね。この意味は、麻が多く栽培されてきた川という意味です。そして、調布とか田園調布というのは麻の布を織っていた所と関係があると思います。麻布という地名も麻に関係していますし、川崎市には麻生区という地名があります。このように、地名からしても、日本というのは、大変大麻つまり麻に縁の深い国であるということがわかります。私が住んでいる国分寺は、武蔵の国の時代に「多麻」とよばれた地域で、特産品として朝廷に麻布を献上していたと言われています。
 このように日本の文化に非常に密接なものが大麻でして、この大麻の価値を見直すということが、日本の社会の在り方や日本人としてのアイデンティティの確立のためにも大変大切で重要なことであると思います。

   ◎ 大麻取締法とは、何でしょうか?

 大麻取締法はですね。大麻の取り扱いについて免許制度を採用したものです。従いまして、無免許で大麻を栽培したり、所持してはいけないという制度です。
 そして、大麻取締法の根本的問題点は、この法律の目的が記載されていないということです。なんのために、免許制にするのかまったく不明確です。当時日本では、全国で大麻の栽培をしていましたが、大麻を原因として具体的に健康上害があるとか、何か社会問題が起こったということは、まったく報告されていませんでした。むしろ逆に、大麻は有用な医薬品として市販されていたほどです。大麻の中で、特にインド大麻という大麻の有効成分が多く含まれている種類の大麻を煙草にして「インド大麻煙草」と呼び、喘息の薬として市販されていたという状態がありました。従いまして、第2次大戦前は、まさに自由に大麻煙草が売られていたということです。

    ◎ それは、いつ頃販売されていたのですか?

 私が、その記事を見たのは、小林司氏の「心にはたらく薬たち」筑摩書房刊の中ですが、その191~192頁で次のように紹介されています。
『 1895年(明治28年)12月17日の毎日新聞には次のような記事が載った程である。「ぜんそくたばこ印度大麻煙草」として「本剤はぜんそくを発したる時軽症は一本、重症は二本を常の巻煙草の如く吸う時は即時に全治し毫も身体に害なく抑も喘息を医するの療法に就いて此煙剤の特効且つ適切は既に欧亜医学士諸大家の確論なり。.....マリファナの有害性ではなしに有益な点を明らか
にして、プラスの面を活用するのが賢明な道というべきである。』

   ◎ 世界の大麻事情を教えてください。

 そもそも、大麻の規制というのは人類の歴史においてごく最近になって規制されたものです。日本
の場合には第2次大戦後でありますし、世界的にみても20世紀の始めにアメリカを中心とした、まあ、政治的な勢力といいますか、考え方のもとに大麻を規制するようになったものです。それ以前は、大麻の取り扱いはまったく自由であったのです。特に、アジア・アフリカ諸国はですね。現在においても大麻を大量に栽培していますし、また、大麻を喫煙したり、食用としたりという習慣は現在まで続いています。さらに、ゾロアスター教というような宗教では、大麻を護麻(ごま)としてくべ、それを吸いながら礼拝をしているといわれます。ヒンズー教や回教においてもアルコールは禁止ですが、大麻の使用は認められているようです。最近の情報では、カンボジアでは、八百屋で大麻が売られており、料理に使われているとのことです。
 さらに、ヨーロッパ諸国、特にオランダにおいてはですね。国際条約との関係で大麻を規制する法律はあるのですが、具体的な政府の政策として、個人使用目的ならば所持していてもいいし、また、コーヒーショップという所で買うこともできるし、販売をしてもよろしいということになっています。私もつい最近オランダに行きましたが、アムステルダム・ロッテルダム・マーストリヒトというような所へ行ってきました。そこでは、街の中に、大麻を買ったり、吸ったりすることができるコーヒーショップがあります。それらのコーヒーショップでは、若者が静かに大麻をすって、音楽を聞いたり、ゲームなんかをして遊んでいるという状況でして、街の中に自然に溶け込んだ雰囲気の中で、大麻が使用されています。私は、このような様子をみて、大麻の規制を撤廃しても、格別な弊害は生じないのではないかと思いました。
 さらに最近では、ドイツでは、数年前に憲法裁判所で大麻の個人使用をアルコール並みに認めるという判断が出されたようで、大麻に対する関心が高まっているようです。そして、大麻から作る紙や衣類・食料などの大麻製品を取り扱う店も全国的に普及しつつあります。スイスにおいても、州によっては大麻の個人使用を認めている所もあるようで、さらに既に大麻の茎を原料にして建物の建築材料も生産しています。また、カナダやアメリカにおいても大麻使用の自由化の動きが進んでいます。本年の11月の始めには、カルフォルニア州とアリゾナ州で大麻の医療目的での使用を認めるという法案が住民投票で可決されるという動きに発展しています。

   ◎ 大麻を吸ったことにより、トラブルが発生することはありませんか?

 私は、この10月にオランダに行ってきました。オランダのなかではアムステルダムとロッテルダムそしてオランダの一番南に位置するマーストリヒトに行ってきました。そこで、色々なコーヒーショップに入り、実際に大麻を使用したり、周りの様子を見学しましたが、その雰囲気は、普通の喫茶店でコーヒーを飲んでいるのと全く同じです。アルコールの場合には、それを飲んで酔っ払い大きな声を出すということはありえますが、そういうことはありません。大麻の効果には、鎮静作用があり、リラックスしてきますから、静かに音楽を楽しんだり、ゲームを楽しむという雰囲気です。だから、喧嘩をしたり、大声でどなりあうということは、全くありませんでした。たとえば、マーストリヒトには、マース川という大きな川がありますが、その川の上に船が浮かんでいまして、それ自体がコーヒーショップになっています。そこは、18年前から営業しているそうです。そこも、同じ様な雰囲気で、もし何か大麻を使用してトラブルが起こったりすれば18年間その営業を続けることはできなかったのだと思います。ま~こういう実態からしましてですね。大麻というものを、特別に考えることをやめてですね。植物つまりハーブとして大麻をとらえればその見方も変わるのではないかと思います。

◎ 厚生省の薬物乱用防止パンフレットをご覧になってどう感じられますか?

 まず、この厚生省の薬物乱用防止パンフレットですけれども、「薬物乱用のおそろしさ」という表題になっていますが、続けて読みますと「麻薬、覚醒剤、シンナーの乱用をなくそう」という風に書かれています。従いまして、ここでは、大麻という文字が出てきません。さらに、まえがきを見ましても、「麻薬や覚醒剤などの薬物は使用しているうちに、やめられなくなるという依存性と乱用による幻覚・妄想にともなう自傷、つまり自分を傷つけることですね、そして「他傷」つまり他を害する「の危険性があるという大きな特徴があります。」と書いてありますが、ここでも「大麻」ということは書かれていません。大麻は、使用しているうちにやめれれなくなるという依存性はありませんし、その乱用によって自分を傷つけたり、他人を傷つけるということもありません。従って、厚生省もそのことを意識しているのではないかと思います。また、次の頁を見ましてもですね、乱用されている薬物として「麻薬」とは別に「大麻」と書かれています。またこの薬物乱用という言葉の定義ですが、実際上は何も内容がありません。すなわち、法律に違反しいることをイーコール乱用といっているだけです。具体的に大麻を使用するとどういう弊害が生じるのかということまで見据えて定義をしているのではありません。形式的な法律違反ということを言っているのにすぎません。

   最後に私は、大麻について、2点ほど言いたいと思います。

 まず、「犯罪」とは、何か?ということです。犯罪とは、具体的に人の財産とか、身体の安全を脅かすものを犯罪というと思います。例えば、人の物を勝手に取れば窃盗罪になりますし、人と傷つければ傷害罪になりますが、こういうものが犯罪といわれるものです。すなわち、具体的な保護法益の侵害があったものが犯罪です。しかしながら、大麻取締法におきましては、守るべき法益というものが不明確です。したがって、守るべき法益というものが不明確なものは犯罪とは言えないと思います。そういう意味からして、大麻取締法は、実体としての犯罪を取り締まるものではないのに、刑事罰でもって大麻の取り扱いを規制するもので、憲法で保証されている幸福追及権や平等権、さらには職業選択の自由などに違反するものだと思います。  それから、大麻は単に害がないというだけではなく、大変有益だと思います。医薬品としての価値も非常にありますし、茎からは紙そして建材、そういうものが生産できますし、種からは蛋白質・ビタミンなど有益な栄養素がとれます。さらに、燃料もとれます。また、大麻を栽培すればするほど、炭酸同化作用によって炭酸ガスを吸収し、酸素を出しますので、地球の温暖化対策と空気の浄化に貢献することができます。したがって、大麻はトータルな意味におきまして、人類に非常に有益な植物であり、その栽培を奨励することが必要であると思います。現在、大麻取締法があるために、大麻の有効利用の研究が充分にできにくい状況にありますが、大麻について悪いものだという先入観をもたないで、厚生省・農林省・環境庁など行政当局が大麻の有効利用について積極的に調査・研究をしていただきたいと心より強く希望します。

   ◎ アナンウンサーのコメント

 今年11月2日カルフォルニア州で行われた選挙で「マリファナの薬用使用を認める」という法案に対し、55%の人が賛成票を投じました。アリゾナ州でもこのような法案が承認され、アメリカでは、賛否両サイドの人々による論議が巻き起こり始めています。しかし、合衆国としての法に反することから、実行までには、様々な障害があることが予想されますが、勝利に湧く賛成派では国に挑戦すべく。全国組織を結成し、これによりマリファナ合法化の活動を展開していく決意だということです。

◎ 番組制作者二人の会話

「う~ん、今日は勉強になったなぁ」
「うん、なんか色々知らないことってずいぶんたくさんあるよねぇ」
「大麻っていいもんですね。」
「や、まあ、それをいっちゃ、まあおしまいなんだけれども、ん~ねぇ、あの~今日本の法律、現行法で禁止されているのでね、我々はねぇ...」
「吸う以外に食べてもいいみたいですね。」
「まぁ、まっとうなね、この社会人としてね、この誰にも恥ずることのない人生を送るためにはね、法律というものを遵守するということでね...」
「ケーキとかにいれてもいいんだがなあ...」
「ま~ね、おいしいものかもしれないけどねぇ。まあ色々ね~事情があるわけだし、まあ、色々この~法律で禁止されていることはまあ、それなりの事情があるということだと思うんだけど...」
「これ、おじいちゃんから聞いたんですけど、昔、忍者とかは、あの~麻の実で、そして育てて、その上を飛び跳ねて修行をしたらしいですね。」
「まぁね、僕たちはね、忍者じゃないからね。」
「うん、でもいいよなぁ~」
「そうねぇ、だから、まあ、これはまあ第2弾、第3弾とね、こう、まあ、このテーマーっていうのは、つきないからやっていって、それでまあ法律で禁止されていることなんで、そういうような禁止している立場の人の意見も僕はまあもっと聞いていってもいいのかなあと思うんだけどね~」
「うん、うん、そうだ、クッキーに入れよう、クッキーはいいかもしれない。」
「まあ、とにかくあの~、伝統文化っていうね~そういうものの中に大麻があるっていうのは、僕には新しい発見でした。」
「お茶とかもいいかな」
「や、お茶もね、いいかもしれないけれど、ね~、この縄文時代から伝わったっていうのが、いやあ、驚きだったなあ、う~ん」
「喘息とかもなおっちゃうんでしょ?」
「ま~ね、ま~その辺のね、ことは、まあ、我々にはあずかり知らないところでね。ま~難しい問題ですよ。」
「よし、ちょっと作ってみよ!」
「や~それわね、まあ、色々ね、この許可をね、申請するのね~結構大変らしいですよ。」

<補充>
なお、大麻取り扱い免許の申請手続きについては、「マリファナX] 第3書館発行の96~97頁に「大麻栽培の免許を取るには」(著者丸井英弘)第3書館発行のという論文がありますので、参考にしてください。

終戦記念日に、、、

ガンジャ(マリファナ)を愛した偉大なアーティストを紹介しておきます。

ジョン・レノン
ボブ・マーレィ

大日本帝国軍は国民に覚せい剤を配るのではなく大麻を配ればよかったのでは・・・

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2008.05.02

やわらかい季節

陽気の上昇とともに、私の精神状態も上昇してきた。
私の場合は上昇するのも困ったもので主治医はハラハラしている。

睡眠時間はついに3時間を切り始めた。
早朝に目が覚め、神棚をきれいにして、縁のご飯をあげて、ごみを捨てに行って、体重や体脂肪率や筋肉量などを量り、浜田省吾か、徳永英明のボーカリストを聴きながら、朝食の下ごしらえをして、ともりんが起床するのを待つ。
今日は、いつもよりやけにウキウキして、ともりんの風邪薬を買いに行って、テーブルクロスまで買ってしまった。
これが怖いのである。
金銭感覚がまったくなくなってしまう。
調子が良いのをいいことに、バルコニーに板を敷き詰めて、キャンプ用の使わなくなったテーブルセットにテーブルクロスを敷いてみる。
縁の日光浴のために敷き始めた板は、ちょっとしたバルのテラス席へと変化を遂げた。
去年植えた葡萄がバルコニーの柵の上を這うのはいつになるかしら。
今朝は遅い朝食になってしまったので、料理に少しだけ手を加えて白ワインをあけた。

ベーコン生ハムのフルーツサラダ~バルサミコソース
(生ベーコン、白きゅうり、グリーンリーフレタス、苺、オレンジ、グレープフルーツ、バルサミコ)

手作りマッシュポテト
(じゃがいも、オリーブオイルマーガリン、牛乳、我が家の畑で取れたパセリ、塩)

海老とアスパラのタイ風スイートチリソース。
(ブラックタイガー、細アスパラガス、三つ葉、タイ産スイートチリソース)

野菜たっぷりのコンソメスープ・バジルオイル。
(ブロッコリー、カリフラワー、アスパラガス、にんじん、コンソメ、我が家の自家製バジルオイル)


先日家族で、イタ飯を食べに行ってきた。
そこのバルサミコがとても美味しくて、帰りにデパ地下でちょっとだけ高級なバルサミコを買った。
妻は怪訝な顔をしていたが、今朝食べてみて納得してくれた。
私は調味料のテイスティングをしてさまざまな料理に使ったときの味が想像できる。
それはインテリアやファッションにしてもそうだ。
別のデパートでは激安スワロスキーのペンダントに一目惚れ。
スワロスキーのクリスタルは一目でわかるのに、商標がどこにもない。
だから安いのだそうだ。
ちょうど明日から、サイケのレイヴに行くからね。
激痩せしたことだしお洒落もしたいね。
ともりんの服装もともりんの意見を聞きながら、私がすべてコーディネートした。
オレンジとピンクの淡いパステル調で、ターコイズブルーをアクセントに使って、私と同じくクリスタルのペンダント。
チェーンが合うのがなかったから、リボンで自作した。
お金がないので、現在ある服でどうにかするしかない。
そしてこれだと思っていた淡いピンクのバッグの取っ手が千切れているではないか!
さっそく電動ドリルで穴を開け、スカーフでつなぎ合わせて何とかなりました。
私は原色の絞りのTシャツに、同じく淡い色の絞りのシャツを羽織ってパンツはジーンズ。
写真を撮る時間があったら、アップしますね。

料理もインテリアもファッションも、もっとも身近な芸術だ。
私は美術だけは成績がよかった。
デザイナーの専門学校に行っていたこともある。

和室には菖蒲と若葉が綺麗なもみじが生けてある。
町の散策で失敬してきたものだ。
ダイニングには抱えきれないほどのラナンキュラスが特大の透明な花瓶に無造作に放り込んである。
これは我が畑で咲いたものだ。
バルコニーでは八重くちなしが花を咲かせる準備をしている。
今年も香りの芸術を運んでくれる。
ブーゲンビリアは新芽を出し始め、鮮やかな夏へ期待を持たせる。
バルコニーのテーブルの上のシクラメンは時期はずれの花を咲かせている。

気持ちのよい昼下がりのバルコニーで食事を摂り、クリスタルのワイングラスに光る陽がとてもいい気分にしてくれる。
オーディオから流れる良質な音を聴きながら、走り回る猫と犬を優しいまなざしで眺めている自分に少し驚いている。

幸せはどこかにあるものではなくて、そこにあるものだと、いったい何人の人々が気づいてるのだろう?
あくせくしなくても暖かい春は人間の意識など無視して毎年やってくる。
それを壊すものがあるとすれば、それはきっと欲望であろう。

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2008.02.05

存在

僕が大学病院の並木道を歩いてる

コートやマフラーをまとった忙しい人たちの中に

パジャマ姿のまま立ち止まって

右手を薄日に翳して確かめるんだ

僕は確かにここににいるのだろうか

こんなに大勢の人がいるのに

誰も教えてくれない

無視しているのか見えないのか

ときどき手のひらから透けて見える色褪せた世界

冷たい風に抱きしめられて

病室で僕を呼ぶ看護婦さんの声がする

あたたかい病室へ戻ろう

きっとそれが一番正しいことなんだ 

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2007.11.29

ショパンを聴きながら

昨日のBSハイビジョンのショパン特集を見てからというもの、ずっとショパンが心の中で鳴り響いています。
ピアニスト仲道郁代さんはとてもいい。彼女のCDは持っていないので、中村紘子を繰り返し聴いています。

最近ピアノも習いに行こうと思っていて先生を探していますが、精神科医から、とりあえず、トワイライトスクールの読み聞かせに専念しなさいと言われてしまった。

新しい音楽も聴かなくてはと思い、レンタル屋でたくさん借りてきたけれども、気に入ったものは皆無でした。
アンビエントと、クラシックと、浜田省吾しか聴いていません。
あっ、インドの抒情詩なるものも聴いています。

移りゆく季節とともに、私の趣味嗜好も変化していく。
私の影響で妻の好みもかなり変化して、より本物を求めるようになった。
本人は芸術的センスなんてないと言うが、本物に囲まれれば、おのずと理解できるようになる。
妻は絵画なんて興味がないのに、私をデートに誘うために美術館を選んだ。
私はてっきり芸術肌かと思った。
懐かしいな。

クリスマスのネオンより、散りゆく落ち葉に美を感じる。
今年の冬は妻にダイヤモンドダストを見せてあげたい。
いつか青い海の中で、原色の魚たちに囲まれさせてあげたい。
いつの日か、セイシェルの無数の星を見せてあげたい。

今年の芸術の秋は短かった。
果たして美しき世界を1000年後も見られるだろうか?
ショパンはきっと愛され続けるだろう。

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2007.10.25

学園祭

学園祭のシーズンがやってきましたね。
下手なお祭りに出かけていくより楽しいし、馬鹿馬鹿しい値段の屋台で散財することもない。
昔は女子大生や女子高生がチケットをくれてよく遊びに行ったな。
今年はどこの大学に行こうかな?
誰か、お勧めの大学を知っていますか?勿論名古屋でね。
やっぱり、淑徳、椙山、金城???って、みんな女子大やん!
高校のときに椙山女学園の高等部の学園祭に行ったときは、水着の女子高生が出てきて涙が出た!
そんなことはさておき・・・
頼りない若者ばかりが目に付く昨今なので、素敵な若者の感性とエナジーを感じてみたいな。
それに・・・大学で学びたいと思う今日この頃です。
とにかく、お金をあまり使わず、楽しめる学園祭に行くぞ!

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2007.05.05

自称芸術家が感じた縁

叔父が亡くなったりして、父の墓参りには行けなかった。
お金が乏しくなったので、恒例のパーティは行けなかった。
浜田省吾のチケットは取ることができなかった。

でも、でも、美術館に行って来た。
江戸絵画~
いままで行った中で一番よかった特別展だった。
なかでも、円山応挙の”懸崖飛泉図屏風”を見たときには鳥肌が立った。
妻は伊藤若冲の”葡萄図”が気に入ったらしい。
我が家の和室に飾りたいが、これらの絵は原画でないと全く意味がない。
贋作でも何十万、何百万もする絵は、ちょっと買えないな。
妻は初めて日本絵画を見たらしく、とても感動していた。
日本人の魂みたいなものが伝わってくるんだよね。
それに、自分は紛れもない日本人だってことを絵が教えてくれる。

なんていう名前のランだったか忘れたけど、以前、国際ラン展で買ってきたんだ。
まぁまぁ、高価なランで、花がついてるものは買えなかったけれど、花のない小さな株を買った。
それがなんと、黄色い小さな花が、たくさん咲きました。

床の間に花を活けたいが、まず、床の間を作らなければならない。
流木や石でオブジェも作りたい。
リサイクルショップとホームセンターと自分の心の中を彷徨いながら、ゆっくり創り上げよう。
自称芸術家というからには、そろそろ作品に取り掛からなければ・・・
やっと、そんな気になってきました。
芸術性を磨くために、海外旅行も行きたいけれど、まずは、6月に素敵なレイヴがあることを知ったので、それに行きたい。
パーティというのは不思議なもので、縁があれば情報がたくさん入ってくるが、縁のない人はパーティの存在すら知らない。

通夜の席で住職が、仏教の縁について話をしてくれた。
わたしは、縁の不思議さと縁の面白さと縁の残酷さを知っている。
突然美術館に行ったのも、ランが咲いたのも、不思議な縁だ。
だから、縁を大事に、この先も暮して生きたい。

今日も私が穏やかなのは、妻と不思議なご縁によって成り立っている。


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2007.01.27

セロのライヴ

セロのライヴを見に行ってきた。
マジックのライヴというものは初めてだったが、とても楽しかった。
セロには、やっぱり手品を超えたものがある。
客席の私のトランプのカードが証明している。
未開封のワインボトルの中に閉じ込められたセロと客席の女の子のサイン入りカード。
不思議と笑いのイリュージョンだった。

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2006.12.02

来年の抱負は時代劇の中に

師走に入って、慌ただしくなりそうな予感がする。
精神科医には、引き続きのんびりするように言われてるが、お掃除、片付けの季節はテンションが上がってしまう。

市営住宅が当たれば、物事が一気に動く。
あれこれ思いを廻らして動くことは大好きだけど、冷静、客観、思慮を大事にしながら行動したい。
市営住宅は福祉枠で申し込んでいるが、一般枠募集で滑り止めをしている。
さらに、県営住宅、市営住宅空家待機募集と、更なる滑り止めも検討している。

来年は飛躍の年だ。

昨日、報道ステーションで、古館氏が、武士の一分という映画に触れ、山田洋次監督の言葉を紹介していた。
”貧しいとは清潔であり、貧しいとは美しい”
当然ながら、精神的貧しさではない。
この言葉はとてつもなく奥が深い。
赦すという言葉と同じぐらいの重みではないだろうか。
”貧しい”と”赦す”
辞書を引いてみても、漠然としていてつかみ所がない。
なにが貧しい?なにを赦す?どういう目線で貧しい?どういう視点で赦す?
今の世の価値観とでいけば、これらの言葉は否定的に映るかもしれないが、もう、感じてきている人たちが大勢いる。
芸術家かもしれない、教育者かもしれない、医学者かもしれない、浮浪者かもしれない、宗教家かもしれない。
山田洋次は時代劇をやることによって、日本人古来の美徳を説いてるのかもしれない。
政治が右傾化する中で、あえて進歩的な復古主義というのであろうか。
古館氏が、私の考えと同じことを言っていた。
「時代をこれだけ遡ると、かえって新鮮に感じる」
記憶にない、経験していない時代の価値観、それは戦中や、戦前というものを超えた時代の大切にしてきたもの。

芸術家の感じる心は時代の先を行くことが多い。
だから、死去してから作品が世に出るなんてことがある。
そういうものと多く触れていくことで、自分のあるべき姿、歩むべき人生が解ってくる。
世界はドラスティックに変わる。
報道番組を見ていると、新聞や本を読んでいると、政治家が一番鈍感な人種ではないかとさえ思える。
心というものに対して、人間というものに対して、何も見つめていない。

政治の世界は偉大なる哲学者さえ殺してしまう。
政治は偉大なる宗教さえも自らの武器としてしまう。
それは歴史が証明している。
いまもなお証明している。

そんなことを、取りとめもなく思ってみる。
早いけれど、来年の抱負は、いまの価値観と反対のことを実行してみよう。
私は、もう、そういう、現代とはかけ離れた思考になりつつある。

失くしてしまった行い。
失くしてしまった思い。

最近、若い子の間で、ドストエフスキーやトルストイ、カントなんかが読まれていて、売れ行き好調らしい。
やはり、時代は変わろうとしている。

山田洋次監督、藤沢周平原作、木村拓哉主演、””武士の一分””を見るといい。
古館氏曰く””見なくてもいい””逆説的言葉。
この映画は武士3部作の最終章だから、できれば、”たそがれ清兵衛””隠し剣 鬼の爪”もぜひ見るといい。

私は前売り券を買ってあるが混雑しそうだな。

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2006.11.30

髪結いレッスン


いつも二人で行く美容室に行って来た。

私はカットだけ、妻はカットとカラーリング。
私は彼女の髪形に注文をつけた。
「和装が似合う感でカットしてください」
これから着物を着る機会が多くなる。
中途半端な長さだと変だ。
彼女は店長と「二人で着物を着て時代劇の映画を見に行くんです」と話していた。

私も店長にカットしてもらいながら、その話をしていた。
「妻の髪を結うのは私がやりますよ」
店長は、「それがいいと思いますよ」
「自分でやるより綺麗にできます」
「あとでアップの仕方を教えますね」と言ってくれた。

私はカットだけなので早々に終わり、
店長が勧めてくれた妻の横の席でコーヒーを飲んで待った。
さぁ、シャンプーから帰ってきたともりん。
ブローから店長の指導が始まった。
私は間近で美容師の仕事を見るのは初めてだ。
普段は眼鏡を外しているので何も見えない。

鮮やかな手つきで、髪が梳かれていく。
う~ん、これから、妻の髪は私がブローしよう。

綺麗に髪が流れていく。
美容師の手つきと、美しくなっていく髪に見とれていた。
思わず、「芸術ですね」と声を上げた。
女性の髪を美しくしていく芸術。
やっぱりこういうのを見てるのは大好きだ。

さていよいよ、アップの仕方のレッスン。
店内は待ってるお客さんがいるというのに、丁寧に教えてくれた。
彼女は首が長めで、うなじがとても美しい。
髪の巻き方、持ち方、ピンの留め方、方向、ゴムの巻き方、分け目のポイントや、散らし方など、基本的なことを中心に教えてもらった。
よし、たぶん、初めは、店長さんのようにはいかないけれど、基本は頭の中にしっかり記憶したから練習しよう。
着付けも母に教えてもらって上手になろう。
そうすれば着物で旅館に泊まっても大丈夫だ。
なんか、楽しいな。

美容師って、素敵で、美しい仕事だね。

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2006.11.11

偉大なる脳と宇宙

”宇宙誕生から現在までを一年間とすると、人間が誕生してからまだ7分間”

名古屋市科学館で「脳!」展をやっていたので、プラネタリウムの11月のテーマ「宇宙誕生」とあわせて見に行ってきました。
名古屋市科学館のプラネタリウムはかなり素晴らしいです。
名古屋へお越しの際には、ぜひ見学されると良いと思います。

さて、内なる宇宙である人間の脳の探求と、実際の宇宙の姿。私は、この小さな小さな細胞のネットワークシステムと無限に広がり続ける大きな宇宙は、実はそのシステムにおいて同一の質のものであるような気がしていました。
サイケデリックスによる精神世界旅行を体験すると、こういった観念が直接的にやってくるから不思議です。
その思いは今回の二つの宇宙を知ることによって、さらに確信に近づいたと感じました。
実際、プラネタリウムの解説者も、人間の成分は星の成分だと話していました。

脳が世界を認識する~宇宙がなければ脳は存在しない。
宇宙の年齢は137億歳であるということが現在わかっています。
それは宇宙の誕生の様子が137億光年の彼方に確認ができるからです。
でも、それは、137億年前のものを現在見ているのですから、現在の実際の大きさはどれぐらいなのでしょうか。
そして解説者はこうも言っていました。
宇宙の外側は時間も、空間も、物質も何もない暗黒の世界だと。
そして宇宙が誕生する前は、そこには何もなかったと。
正確には”そこに”という場所さえないということですね。
四次元の世界だとする学者もいるそうです。
私がサイケデリックスで味わった死後の世界らしきもの、あれは、宇宙の外側の世界なのかもしれません。
宇宙の外側は暗黒ですが、死後の世界は真っ白です。
ある崇高な意識が宇宙を創ったのでしょうか。
何もないところにどうやって宇宙を創るのか?
そこに人は神(絶対真理)を見出すのです。

もう片方に目を向けましょう。
内なる宇宙である脳についてですが、物事を認識する脳があって初めて外界というものが存在するのです。
そうであるならば脳がなければ宇宙も存在しない。
科学的なものに頼っている現代では、何もかもが自明に見えます。
今回の「脳!」展では、人間の外界を認識する仕組みが実際に体験できる楽しい装置が用意されています。
脳のしくみは宇宙が創り出したものです。
そして宇宙は誰が創り出したのでしょう?

これ以上掘り下げていくと頭が痛くなるかもしれないので終わります。
しかし、好奇心旺盛な私は、脳と宇宙という二つのテーマは楽しくて仕方がありません。
科学的に解かっていないものを自分の想像の産物として、あれやこれやと思い巡らせて見るのも素敵ですよね。
人間がこれだけ脳が発達した背景には創造性という素晴らしい機能があるからだと感じています。
テレンス・マッケナによると人間の大脳が発達した要因として、マジックマッシュルームの胞子が宇宙から舞い降りてきたからだと言っています。
私は彼のことを笑えません。
科学者は推論が先にあって、それを証明していくものですから。

ロマンティックなんていう言葉は最近は聞かなくなってしまったね。
名古屋市科学館、お勧めですよ。
カップルで語り合うもよし、グループで激論するもよし。

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2006.10.19

読解力と本

教育再生 学力の底上げをめざせ

 安倍首相直属の「教育再生会議」が発足した。首相が掲げる教育改革を具体的に練り上げる場である。

 委員には各界から17人が起用された。経済界の人も学校の創設や運営の経験を持つ。教育委員会や小学校からも選ばれている。現場の実情を踏まえた論議を期待したい。

 初会合のあいさつで、首相は課題として「学力の向上」を挙げ、教員免許の更新制や学校評価が必要だと力を込めた。さらに規範意識や情操を身につけるための方法を議論するよう求めた。

 学力低下はさまざまな調査で明らかになっている。規範意識はモラルと言い換えてもいいだろう。その低下も多くの人がうなずくに違いない。

 学力と規範意識を高めるのは、今の教育の重要な課題である。だが、この二つは切り離して考えるのではなく、つながりにこそ目を向けなければならない。

 03年の国際的な学習到達度調査でも、学力の基本である読解力が3年前の調査に比べて落ち込んだ。読解力の高い層のレベルは変わらなかったが、低い層は一段と下がっていた。しかも、低い層の割合が他の国に比べて大きい。

 学力低下の実態は、できる子とできない子の二極化というべきものだ。

 授業についていけない子どもは、学ぶ意欲を失う。教室を捨てて非行に走り、投げやりになりがちだ。そうした子どもにいくら規範意識を説いても、聞く耳を持つまい。

 先生の話を聞き、教科書を読む。そうした日々の授業こそが、学力を高め、規範意識を育てる何よりの場である。

 まずは、どんな子にも学ぶ意欲を持たせるようにすることが大切だ。そのためには、少なくとも、これまで以上にきめ細かな指導が必要だろう。

 学校ごとに競争させれば、すべてが解決するかのような意見がある。確かに競争は必要だ。しかし、いまの学力の二極化は、競争だけで解消できるほど生やさしいものではない。よほど慎重に進めないと、子どもたちや学校の間の格差をさらに広げることになりかねない。

 やはり全体を底上げすることが必要だ。同時に、できる子の学力をいっそう伸ばすことを考えなければならない。

 中曽根内閣の臨時教育審議会や小渕・森内閣の教育改革国民会議など、歴代内閣が教育の改革を掲げてきた。そのたびに振り回されてきたのが、子どもや父母、教師である。教育再生会議は、この繰り返しであってはならない。

 日本が「学力大国」と言われたのは、そんなに昔のことではない。それが今では「二流国」と言われ、学力の格差の広がりに直面している。

 どこでつまずいたのか。原因をきちんと究明してほしい。それをしないで、いくら方策を並べても、説得力はない。

 「教育は百年の計」と言われる。小手先の対策ではなく、斬新で骨っぽい提言を聞かせてもらいたい。

                                  朝日新聞・社説より


確かにここ数年、若い人の読解力は落ちている。
話し言葉にしても短いセンテンスでないと理解不能に陥る。
テレビや、ゲーム、漫画文化、周囲の大人とのじっくりとした会話のなさ、読書量の低下など、さまざまな要因がある。
テレビにいたっては、なんとタレントの会話に字幕がついているではないか、これには驚きだった。
集中力のない子供も多くなってきた。
大人の話をじっと聞いてられないのだ。
大人も大人で、会話するときにもいい加減な文章を使っている。
語尾も曖昧で、主語が抜けていたり、目的語さえしっかり話してない。
若い子とメールをしていると、何が言いたいのかわからないことが多くて困っている。
絵文字はやたらと多いのだが、嬉しさや悲しさ、楽しさといった感情を表現する言葉を知らないのだ。
まるで識字率の低い国のような状況になっている。
そもそもメールなどというものは、とくに携帯電話のそれであるが、あれは必要事項を伝えるツールに過ぎない。
あれで真のコミュニケーションが成立するなんて不可能である。
私の時代は辞書を引きながら手紙をよく書いた。
手紙は正直だからね。だからといって手紙だけだと誤解を招くこともある。
あと、メールで困るのは終われないのである。
私は相手を不快にさせないような文面で結びの一文を書くようにしている。
ある大学教授が、リポートを採点する際に、内容がどうとか言う前に文章がまともではないことを指摘していた。
話し言葉で誤魔化していると指摘している。
語彙数も圧倒的に低下している。
件の教授によれば、広辞苑の5%も使っていないそうである。

私もこのブログを書くにあたり、自分の文章力のなさに辟易している。
最近、早稲田大学の、本を書くための講座を書籍にしたものを購入してぱらぱらとめくってみた。
これはとても参考になるものだった。
本にまつわる多岐にわたる指摘があるのだが、ことさらに強調しているのは、とにかく本を読み続けることが大切だと言っている。
それも、週に一冊は読まないといけないといけない。
これは余談だが、逮捕されて拘置所にでも入らないと一日一冊の本は難しいな。何しろあそこは普段本を読まない人でも読むしかないのだ。
とくに独居房の場合、全く何もやることがない。
あと面白いのは売れる本を書くには、センテンスを短くして、余白をたくさん作って、改行もどんどんして、漢字をあまり使わずに書くことだそうである。
やはり売るためには時代に合わせないといけないようである。
でも、簡潔な文章の中に深い味わいを持たせることはできる。
それができるのは、やはり書き手のセンスと力量であろう。

ある感情を文章にする場合、私は自分の語彙力のなさに思い悩むことが多い。
例えば”どんな風に悲しいのか”と書く場合、その悲しさを表現する情景をリアルに描くことができれば、その悲しみの質感というものが読者に伝わるのではないかと考えるようになった。
比喩を使うのもひとつの手だろう。

そうそう、私の読書論の話ではなかった。
子供の読解力の問題であった。
読解力がないとすべての科目で理解不能な状況になる。
授業やテストで、どんな答えを求めているのか分からないのである。
巷でマニュアル人間が多数を占めるのも、暗記教育重視で、理解力や創造力をないがしろにしてきた結果だ。
テストの点数で量れないものは切り捨ててきた。
学校の先生の中にも頑張ってる人はたくさんいるが、いい学校、いい会社に就職させたい親たちにとっては、暗記させて詰め込んで、いい点数を取ってもらわないと困るのである。
だからエリートと呼ばれる人の中に、とんでもないことをやらかす連中が多数出現する。
考えれば解かることが解らないのだ。

私は大学入学資格検定を受けたと言ったが、正直、勉強はほとんどしていなかった。
あの当時は、一つの問題があって、それに対して4つの答えの中から選ぶのだ。
問題の答えを知らなくても、問題の意味さえ理解すれば、ある程度は解ける。
文章をよく理解して答えを推理していくんだ。
運転免許の試験でもそうだ。胡散臭い問題は文章を読めばわかる。
あんなもの、試験勉強など一切しなかった。
常識を持って危険か、そうでないかを読めばよい。
曖昧な言い回しはすべてバツだ。
試験問題を作っている人の、いやらしい根性を見抜けばいいのだ。
こんなことしたら自分も他人も危険だと創造力を働かせればいい。
試験に受かってもそれができないから、飲酒運転も、駐車違反も、スピード違反もなくならない。

私の友人はオーストラリアへ二年間、語学留学していた。
日本に帰ってきてからは英会話の講師をしていたが、彼女は私によくこう言った。
「英語を勉強するのに一番大切なことって知ってる?」
「発音?」
「それはね、日本語をしっかり身に付けておくこと」
「英語圏の国でずっと英語圏の人たちと暮らしていくのと、日本人として英語を学んで使うのとは違うのよ」
彼女がぶつかった壁というのは、英語としての意味は理解できるが、それを最適な日本語に訳すときの自分の語彙のなさに愕然とするということだ。
辞書通りにいかない単語の使い方がある。それに表現方法も難しいらしい。

先の早稲田大学の講義の先生は、
”本を読むことこそが自分を高め、人間として生長することに直結する手段であること。それは、自分との対話をはかり、また先達者たちが築き上げた文化、成果を学ぶことからである。”
こう書いてあった。
秋の夜長に本を一冊とってみましょう。

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2006.10.08

歌い手~役者へ

昨夜、母のマンションで夕食を食べていたら、テレビから懐かしい曲が流れてきた。
”東京ラプソディ”だった。
どうやら昭和の名曲を演歌歌手が歌うという企画だった。
北島三郎、都はるみ、八代亜紀、堀内孝雄、天童よしみ、坂本冬美、氷川きよし、山本譲二。
楽曲は演歌にとどまらず、花(喜納昌吉・沖縄を代表するアーティストで、この曲は加藤登紀子も歌っていましたね。自身は世界中で3000万枚という驚異的なセールスを記録している)や、昴なんかも歌ってくれて嬉しかった。
他人の曲を歌うとシンガーとしての実力の違いがもろに出てしまい、女性陣に対して男性陣が霞んでしまった。
北島三郎は別格だが。
最後は自分の持ち歌を歌うが、さすがに自信満々で歌っていた。
八代亜紀・舟歌、みやこはるみ・北の宿から、北島三郎・与作、などなど・・・

演歌は嫌いだったのに、とても胸に響いて、こんなにいい曲だったのかと・・・
詞がこれまた素晴らしい。
ともりんと母が私に作詞をしろというが、これは歌い手の感情の込め方がよいから心に沁みるのであって、活字で読む詞とは別物である。
活字で目指す詞というものは高村光太郎や、ゲーテのそれである。
私は営業をやってきたので、公演とか、語りとか、演説とか、そういうのが似合っている。
演歌の歌詞にはその時代の想いがこめられている。
最近、純日本家屋だとか、演歌だとか、民謡だとか、和服だとか、和食だとか、黒澤明、山田洋次の映画、そういうものに心動かされる。
あぁ、私は日本人なんだって確認するよ。

そして、今日は妹夫婦がライブハウスへ行くというので、甥を預かることになっている。
母が、ともりんと私と甥の四人でカラオケを歌いに行こうと張り切っている。
母は若い頃クラブ・シンガーであった。
40年以上前でギャラは50万円あったそうである。
結婚して貧乏になったといつもぼやいている。
声は八代亜紀のようなハスキーボイスだ。
母の兄弟はみんな歌がうまい。
伯父さんにいたってはテレビによく出ていたよ。
それもそのはず、田端義男と親戚に当たるそうで、子供の頃は良く遊んでいたらしい。

昔よく遊んでいた女の子が子供の頃から民謡をやっていて、とても歌が上手かった。
浜崎あゆみから美空ひばりまで歌う。
床の間に飾って眺めていたいぐらいの綺麗な子で、
よく浜崎あゆみのDepend on youを私の目をじっと見て、
”あなたがもし旅立つその日がいつかきたら ふたりでそこから始めよう”と歌うのだ。
素敵な声で、美しい顔で、心を込めて、、、危うくメロメロになりそうだった。
彼女は幼い頃に母をなくして、16歳の頃から生活のためにスナックで働き、たくさんの人間を見てきた。
だから、大人の演歌を歌っても、ただ上手いだけではない迫力を感じるのだ。
顔が小さくて、華奢な身体で、童顔の色が真っ白な少女が、女の情念を歌いきるのである。
そのときばかりは怖いぐらいである。

ひとつ気がつきました。
シンガーと俳優はとても似ているんですね。
人間的な深みが必要だと思うんだ。

絶体絶命という場面を撮影するときに、絶体絶命がどういうことか身体で解っていないと演技にならない。
”悲しい 悲しい” と歌うとき、悲しみの何たるかを知っていないと心に響かない。

映画”半落ち”で寺尾聡がずっと表情だけで演技をしていた。
目の色が変わるんですよね。
瞳が微妙に動いたりして、さすがです。
渥美清の語りも好きで、あれは上等なオペラのようでもあります。
田中邦衛は一番最初に好きになった役者です。
加山雄三の若大将シリーズではどっちが主役かわからないほどです。
加山雄三の演技は子供ながらに見ていて、あちゃーって感じでした。
親の七光りの坊ちゃんだから仕方がない。

今年の冬、山田洋次映画3部作の最終章”武士の一分”が上映されます。
一作目は真田広之、宮沢りえ。二作目は永瀬正敏、松たか子、吉岡秀隆。
素晴らしかった。
とくに真田広之の太刀捌きはいい。
映画のストーリー上なかなか剣は使ってくれないけれどね。
山田洋次監督、山田洋次、浅間義隆脚本、藤沢周平原作とくればまず間違いない。
時代劇では藤沢周平の右に出るものはいないと思う。
そして浅間義隆のシェイクスピア流のひねりと笑い。
山田洋次についてはもはや言うことないね。
そして今回の主演はなんと”木村拓哉”
ともりんが大ファンなんだが、私はちと心配でね。
大俳優ばかりが出る山田映画で、木村拓哉!?
でも、ともりんが絶賛する木村拓哉だから、頑張って欲しいなと思ってる。
しかも、目が見えない役なんだよ。
原作本によると目が開いたままの全盲なんだよ。
さて、映画はどうなんでしょう?
もし開いたままだと凄い演技力が要求される。
原作の主人公はハンサムなので、それはよしだ。
ハンサムで凄い俳優ってなかなかいないからなぁ。
アル・パーチノのセイント・オヴ・ウーマンって名作があるが、あれは目を開けたままの全盲の役だった。
アルにしかできないよ、あんな凄い演技はと唸らせるものだった。
まぁ、見てみてください、凄い映画だから。
吹き替えでは見ないでね、台詞も凄いから。

ということで、年末はともりんと、たまにはお洒落して、映画を見て、食事して、イルミネーションが煌めく街を冷たい風にあたりながら歩くのも素敵だね。


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2006.03.19

花の祭典

フラワードームへ行ってきた。
私は毎年行っている。去年は万博でなかったけれど、、、

中学生の頃ぐらいから植物に興味を持ち始めた。
ヤクザがらみのごたごたがきっかけのような気がする。

部屋を埋め尽くす植物と熱帯魚たち・・・・・
友人からは盆栽と揶揄された。
中学2年の俺は、子供のお遊びなんかに付き合ってられるかと無視していた。
清潔な部屋で、緑に囲まれて、熱帯魚たちを眺めてると、
とても、とても、心が落ち着いていく。

植物や魚たちは、
どんな理科の授業よりも、私にいろいろなことを教えてくれた。
植物や魚たちは、
私を傷つけることはない、だから私も、傷つけてはならないって思った。

フラワードームというのは、
名古屋ドームで行われるランを中心とした花の祭典である。
私の一番のお目当ては、テーブルコーディネイトだ。
今年のテーマは”映画”である。
花や小物でダイニングテーブルを飾るんだ。

みんな?
あなたの家のダイニングテーブルはどんな感じですか?
物置ですか?
夕食は、もっぱらコタツの上ですか?

旦那が家に帰ってこなくなるのもこんなことがきっかけだったりします。
文句言うなら旦那がダイニングテーブルをキレイにすればいいのですが、、、
普通、共働きですよね。そんな暇ないですよね。
働く~暇がない~部屋が汚い~帰りたくない~外でお金を遣う~お金がない~働く~
よくあるパターンです。
部屋が汚いってところを会話がないと言い換えることもできます。
余裕がないとも言えます。
些細なことで夫婦も家族も思い描いたものから遠ざかったりします。
上手くいっていない家庭があるならば、
ぜひとも、ダイニングテーブルに一輪の花を飾ってみてください。
その花に思いをこめてください。
恋人同士の頃を思い出しませんか?
そんなことしたくないならすぐに別れましょう(笑)


一輪の綺麗な花で仕事の疲れが癒される。

ともりんと、今日は一日歩き回って美しい花たちに囲まれて気持ちよかった。
ともりんは疲れて寝てる。
私はいつものように感慨に耽っている。

ランを5種類買ってきた。
生産者が販売してるのでとても安いけれど、それでも私たちには高価だ。
だから咲いてない小さな苗を買うの。凄く安い!
心を込めて、咲かせて見せるのもランの楽しみなんだよって、、、
ランは咲かせるのが難しいんだ。
初めて大輪のカトレアを咲かせたときは嬉しかった。

ともりんは、
魚も、植物も、ひでりんにかかると難しいんだねって言うけれど、
人間よりは簡単だよ。
ただ、喋ってくれないから、解ってあげないといけない。
勉強しないといけない。
でも解ってあげると、それに応えてくれる。

今日はね、気持ちのいい言葉を聞いた。
ランの生産者の言葉・・・・・
自分のお店のランたちを「この子たち・・・・」って言うんだ。
大事に育てられたランたちは見事な花を咲かせていた。
俺は、こんな風に仕事がしたいのかもしれない。
行きつけの熱帯魚屋さんのおやじも、魚のことを楽しそうに語ってくれる。
魚に何か異変があったら電話してきてと言うんだよ。
愛しているんだね。

俺の同級生たちは、立派な家を建てるが、幸せそうじゃない。
部屋の中は荒れ放題、夫婦の会話なんかない。
ローンに追われて家や一家団欒どころじゃない。
私は安くて狭いマンションだが、清潔で綺麗だ。
ともりんが口癖のように言う。
居心地がよくて気持ちいいって、、、
まぁ、人それぞれか、、、
自分の選んだ人生だからね。

フラワードームには、素敵な熟年夫婦がいっぱいいた。
お互いに花が好きなんだってすぐにわかる。
あの笑顔を見れば・・・

価値観なのかな。
夫婦でパチンコが好きならそれで幸せなんだよね。
俺はともりんがパチンコが好きだったら嫌だけど。

とにかく、綺麗な一日でした。


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2006.03.03

音楽創作から精神病理学へ

朝から、音創りをしている。
やっぱり楽しいなぁ、
創るといっても、シンセもないから、
既存のCDの音源をどこまで、自分の思うとおりの音に変えていけるかって事だけど、
それでも、かなり良質な機材を買ったから、触っていて面白い。
説明書なんか読まなくても、誰かに習わなくても、
とにかくいじってみて、どんな音になるのか、
耳で、心で、体感していく。
音を鳴らしながら感覚で、瞬間的に音を予測する楽しさは、
躁状態の私にとって、非常にエキサイティングな作業だ。
考えてる間もないほどのスピードが要求される。

オーディエンスがともりんだから、
どう?って聞いても、「わかんな~い」って。
ちょっとがっかりだけど、
ちゃっかり、無意識に身体をゆすってノッテイル。
よし、よし、
技術的なことなんか解るわけないか~
気持ち良ければそれでよし・・・・・

名古屋にSHIHOちゃんってDJがいるんだけど、
この子が創る曲ってのは、それは、もう、エロティックかつ、アストラルなわけで、
私は隠れファンで、SHIHO ちゃんが出演するパーティにはなるべく顔を出すようにしている。
これまた可愛い子なの!それがひとたびターンテーブルを回せば、
もう、トランス状態に持ってかれて、もてあそばれてしまう。
こんなようなこと、前にも書いたよね。
あぁ、そんなふうにオーディエンスを操ってみたい!

精神科医の診察の中で、
どうしようもない衝動性と、刺激を求める自分との戦いについて話し合った。
衝動性は計画や目的(言い換えれば夢や希望)で緩和される。
無謀な衝動性、非生産的な行動、
そのために、本当に自分が求めるものを遠ざけるわけにはいかない。
そのことを心に留めておけば、自ずと衝動性は抑えられる。
ただ、あまりにも衝動性を抑えすぎると反動が怖い、
そのあたり、じっくりと見極めていかなけばならない。
自分が何を求めているのか、
それを見えなくするのが目先の衝動性だ。
これは、なにも、躁鬱病者に限った話ではない。
ギャンブル、酒、女遊び、、、いわゆる耽溺するというやつだ。
紛らわし行為が自分の本当の欲求を隠してしまう。
さて、自分の本当の欲求とは?
これが一番難しい。
この現代社会は何もかもありすぎて、次から次へと入ってくる情報で、
混乱、混迷、甚だしい。

たまに、ごくたまに、躁でも、鬱でもないような、そんな気分のときに、
気候と環境に恵まれた田舎町で、のんびりと、何も邪魔されず、追われることもなく、
芸術に携わって生きていくことができればって思う。
パーイという村へ行くと、いつもこんな気分になるんだ。
だから、きっと、あそこは、世界中から芸術家が集まってくるのかな。
心の闇というものを昇華するために芸術はあるような気がする。
哲学と芸術と宗教、これが人間が創り出した最高の叡智だ。

人間は未来を予測して行動する生物だと、(勿論、予測どおりになるかどうか別の問題だが)
それは、大脳新皮質の肥大によって、或いは言語獲得によってもたらされた、
その結果だと言われている。
文明の発達は、予測し、行動することの連続の産物だ。
現代社会は、コンピュータ(情報処理能力の飛躍的進歩)によって、
発達の加速が凄まじい。
そして、予測という人間本来が持つ能力が、”不安”という化け物を肥大させた。
未来を想像する能力がなければ不安なんてない。
かつては、宗教が、その緩和役を担ってきたが、
唯物主義、科学万能論、そんな価値観のもと、宗教は衰退していく。
それは、宗教家自身が、本来の宗教のあり方を見失っているせいだ。

だから、いま、シャーマニズム、サイケデリックドラッグ、瞑想、ヨガ、
そういったものを求める人が増えてきた。

その、時代の流れから日本は大きく取り残されている。
私の病理の一形態~なにかにせかされている~という感覚。
この先どうなってしまうんだろうという漠然とした不安。
だから、何かをしていないと落ち着かないのでは?
そう思った。
音楽を聴くにしろ、創るにしろ、
そこに救いを求めてる気がする。

私は以前、ブログで情報格差に触れた。
氾濫する情報を追いかけ続けていては精神が破滅する。
情報がなくては生活に困窮する時代は、もうそこまで来ている。
いや、実際に、そこ、かしこで、情報がないために苦しんでいる人がいる。

では、どうすれば・・・
わたしは、やはり、パーイへ、
ともりんと、とても穏やかに、パーイ川を何時間も眺めていた。
それだけで、とても素敵だった。

日本に帰ってくると、穏やかさは消えてしまい。
忙しい毎日が続く、時間があっても、心が忙しいのだ。
単に、物理的な問題ではないのだ。

来年、パーイで、プレイさせてもらえるだろうか、
音楽でもいい、デコレーションでもいい、何かを伝えたい。

そのために、いまを生き抜いて行こう。
ともりんとふたり一緒に・・・・・

ここまで読んだら、ぜひ、サイドバーのパーイの写真を見てください。
何かを伝えることができたら嬉しいです。

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2006.02.21

夜道で心が迷う

寒い夜道を 一人で歩いていると

何もないのに立ち止まってしまう

早く家路に急いだって 特別何もありはしない

こんな寒い夜道を 訳もなく立ち止まってしまうのは

あなたを思い出してしまうからで

そんな自分に少しだけ微笑み また歩いていく


あなたは何を想ってるのかしら

こんな夜は あなたを攻め立てる自分はどこにもいないで

独りきりだから 優しくなれるだなんて

本当に 馬鹿みたいね

ふたりでいると喧嘩ばかりなのに

街の古ぼけた錆びた看板や 点滅する街灯が

何故だかわかんないけれど あなたを思い出させるの


不器用なあなたに 黙って逃げてしまうあなたに

わたしは とても寂しく とても苛立っていた

けれど こうして 独りでいると違うのよ

いとおしいの とっても いとおしいの

けれど分かっているわ 一緒にいると駄目なのよね

こうしていま想うことと違う行動をとってしまうのよ

わたし・・・ 自分が解らないのよ

だからきつく抱きしめてもらいたいの

確かな自分 ありのままの自分を

きつく抱きしめられると許されているようで

とっても心地よくて とっても安らかで


勝手ね 自分のことばかり

でもね 冷たい風に当たって 

コートに身を沈めると あなたを思い出すのよ

温かい部屋で あなたがいると

わたし・・・ 我侭な嫌な女になってしまう


寂びれた冷たい夜だから あなたを想うのか

あなたを想うから 寂びれた夜なのか

どちらでもいいわ 

いずれにしろ うまくはいかないってことだけは確かね

せめて わたしの本心が知りたいわ

ねぇ 誰か教えてよ

みんながよってたかって わたしのことを こうだって言い切るけれど

わたしが思っていることと違うのよ

そんなに簡単に心なんて覗けるのかしら・・・・・

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2006.02.01

Festival-PAI

ーーー村。
別に秘密にするつもりはない、
ただなんとなく、その村の名前を明かしたくなかった。
その村の名前は、パーイ。

チェンマイから車で4時間のところにある、
メーホーソンへ行く途中のバスの中継地として栄えた村だ。
本当は町というべきだが、どう見ても村である。
今週末に写真をアップするので見てください。

そこに、Moon village という日本人村がある。
ヒッピーの世界だ。
私はそこへ招かれ、色々な話を聞いた。

本物の芸術家が集まるその世界は、
私にはとても眩しく、美しく、清らかだった。

2007・07・07

世界中から音楽を愛する人たちが、
このPAIに終結する。
そして7週間連続で、Festival を行う。
ここには、頻繁に大物アーティストが訪れる。
ここで、CDもリリースされている。

自由気ままに創作活動ができる素敵な場所だ。
先日のパーティも、ふらりと立ち寄ったドイツのDJとUKのDJが、
お金儲け抜きでやったものだ。
素晴らしいロケーション、
世界中の音楽基地外と大いに盛り上がった。

で、私は、現在タイポップスに嵌っている。
タイ語は何故か、心が落ち着く。

チェンマイへ向かう列車の中で、、
私たちはタイポップスのVCDを見ていた。
食堂車の従業員が執拗にVCDを一晩貸してくれと言う。
貸してあげて、食堂車に遊びに行ったら、フルボリュームでかかっていた。
遊んでいるのか、仕事をしているのか、限りなく怪しい。

さぁ、告知です。
PAI GOA BALI 3箇所同時-Festival

Spiritual Film Festival

www.filmfes.com
www.spiritualtv.in

BEYOND
IMAGINATION

そして、777です。

Find your own space
Make your own relationship
Create your own something

Imagine PAI-LIFE in 2007

Depend on:
Your energy !
Your love !!
Your something !!!

Depends on:
Your way of life !
Sound of nature !!
Spring of your soul !!!

たましいのかくじっけん In PAI (Thailand)

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2006.01.19

見えているだけなんだ

私は、毎日、素敵なものの中で暮らしています。
何故、おまえばかりが良い思いをするんだ、、、
そう言う彼は、奥さんと二人の子供、そしてマイホームも手に入れた。
その瞳は、かつての友人ではなかった。
彼の話題といえば、
ボーナス180万もらったとか、、、
妻や家庭の愚痴ばかり、、、

何故、こんな話をしたかというと、
この素敵な光景の中で、
私は、至福を味わっているのです。
でも、それはすべての人に平等ではありません。
全く、この素敵さが理解できない人もいるのです。

散歩をすると素敵な景色が飛び込んでくる。
私がどのように見えてるか、あなたには解らない。
写真家の写す絵がとても綺麗で、
実際に見たよりも綺麗だったりするのは、
写真家には写した通りに見えてるからだ。

私の目には、驚くほどの美しさが見えてるのに、
それを誰にでも解るように、私の見えてる世界を写すことが出来ない。
私に欠けているのは技術だ。

ピカソ、ゴッホ、モーツァルト、
彼らにはすべて当たり前の光景として見えているんだ。
それを表現したいと、
どうしても表現したいと、
彼らは戦ったんだ。

だから、私は一度もシャッターを切っていない。
全く、意気地なしだな、、、

話を戻します。
私は幸せも芸術だと考えていて、
感じ方一つで、素晴しい人生になる。

私の友人は何を手に入れたら幸せになるかを考えるより、
もっと、感じればいいと思う。
もっと、経験すればいいと思う。
そして、感じて、考える、、、

私は無職で、私自身の貯金などないし、
マイホームもなければ子供もいない。

私は最高に幸せである。
感じることが出来るから、、、

2度ほど廃人になりかけたし、死にかけたことは無数にある。
でも、どうやら、”感じること”それだけは失わずに生きて来れた。

この、束の間の、
素晴らしい光景を、
とても美しくて、美しくて、
そして、ともりんはいつものように私のそばで穏やかに過ごしています。

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2005.08.19

熊野大花火

2泊3日で三重県の熊野大花火を見てきました。

ここ数年は花火を見に行かなかった。
それは、混雑と暑いのが嫌いだから。
クソ暑い中をゾロゾロと人ごみを歩くのはちょっとねぇ、、、

今回の感想はと言うと、

めっちゃ、感動した!!!

う~ん、ありきたりな表現になってしまうなぁ、、、

ネットで調べたらキャンプ場があったので、
花火の会場は大変な混雑らしいこともあって、
近くの海岸にテントを設営することにした。

そして花火当日、歩いて会場へと、、、
・・・海岸を埋め尽くす人!人!人!
有料観覧席は取っていないけれど、
とてもよい場所を確保できた。
海岸が何段にもなって観覧席になっているので、
通路以外はぞろぞろ歩いている人はいない。

ディレクターチェアをセットして、ビールを片手に準備オッケーだ。
沖に停泊する観覧用の船の明かりが綺麗だ。
あんなところから、あんな豪華船で、、、どんなお金持ちなんだろう!?
海からの涼しい風と、幻想的な月明かり、、、
そして高まる期待・・・

3箇所から打ち上げられる花火と海の上で爆発する海上自爆、
花火の迫力は言葉に出来ない。
とにかく迫力が凄いんだ。
音と視界を越える大きさ。
とくに圧巻だったのが、鬼が城大仕掛けだ。

岩場というか山の斜面から、上に、横に、斜めに、
打ちまくられる花火。
ともりんと私は、あまりの凄さに笑い出し、
周りの目も気にしないで大はしゃぎだった。

空を見上げて、降ってくる花火、、、
こんなに花火を楽しんだのって生まれて初めてだ。
ともりんはゆっくり、こうして花火を見るのが初めてだと言った。

波の音を背にして感じるきみの唇は、
花火のように煌めいて、そして儚い。

きみはこれもドラマなんだよねって呟いた。

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2005.01.12

夜景を見にドライブ

IMG_0065
冬型の気圧配置になると夜景が綺麗だ。
夜景なんて見に行こうと思い立ったのは何年ぶりのことだろう・・・

”あのひと”はとても喜んでいた。
やっぱり二人で一緒に何かを感じることって素敵だな。
一時間半ほど二人で見ていたね。
ふたりとても優しい気持ちになれた夜・・・

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2004.10.07

落鮎を食す

IMG_0032.JPG

お姉さま方と落鮎を食べに行ってきました。
写真は帰りに寄った華厳寺です。

横蔵寺、谷汲温泉にも寄りました。

横蔵寺の妙心上人の舎利仏(ミイラ)を久しぶりに見た。
深い宗教的静寂が私を包んだ。

デジタル一眼レフを買った。買った?
さすがという感じだ。
これからどんどん写真をアップしていきますね。

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2004.09.29

秋の海は綺麗なブルー

これからの季節は海の透明度が増す時期だ。
私は一応ダイバーなので、海はこれからがオン・シーズンだ。

最近何年かは潜っていない。余裕がなかった。
今でも余裕がないことには変わりがないが、
私のことを愛してくれる女性のおかげで、心が穏やかになってきた。
勿論、治療の進展も・・・
昨日は先生に叱られたが・・・本当にごめんなさい。
”かこ” ”あのひと” ごめんなさい。

カテゴリを芸術にしたのにすぐに精神論に入ってしまう(笑)
話を海に戻します。

これからのシーズンの海は本当に綺麗なんだよね。
だからダイビングしなくても弁当持参で海までドライブってのもいいかもね。
でも、やる気があるならぜひ潜ってもらいたい。
スキューバ・ダイビングはスポーツというよりも芸術鑑賞に近いスポーツだから。

私は夏の日本の海が好きではない。
若い頃は毎週のように行っていたが、今はよほどでない限り行かない。
高原の避暑地のほうがいい。
汗かきってのもあるし、人ごみが嫌いってのもある。
雰囲気が私のイメージと違う。
モルジブ、セイシェル、カリブ、地中海、ハワイ、沖縄、ポリネシア、ミクロネシア、なんかは大好きだけどね。

ということで沖縄に行ってきます。
しかし驚いた。参った。
ホテルの予約が取れない取れない・・・
高級リゾートはほとんど満室です。

お目当てのホテルは”日航アリビラ”だったのに3ヶ月先まで取れません(泣)
ザ・ブセナテラスも駄目、カヌチャ・リゾートも駄目。ルネッサンス・リゾートも駄目。
ようやく取れたのが”かりゆし・ビーチ・リゾート恩納村”

私は連休を避けてるから大丈夫だと思っていたのに・・・
みんなこの時期の海が綺麗なのを知ってるのかな。

以前に同棲していた彼女との仲が冷えかけた頃、
本当は二人で行くはずだった沖縄旅行へ一人で行った。
そのときは一人で、リザンシーパーク谷茶ベイというリゾートホテルに泊まった。
家族連ればかりのところへ野郎が一人という哀しい状況だった。

高級リゾートだったけれど私の感性とは違っていた。
それで一人でレンタカーを借りて、ホテル探検に出かけた。
そこで出会ったのが”日航アリビラ”だった。
宿泊者でもないのに、プールサイドで読書したり、写真を撮ったりと、我が物顔で素敵な午後を過ごした。
私はスペイン建築が好きなのでここのインテリアは大好きなんだ。
リンク先を見ればお分かりだと思うが、客室も素敵だ。
今回は惜しくも泊まれないが、彼女とここでディナーを食べようと思っています。
ホテルの真価は長期滞在しないとわからないが、
日本国内のホテルは高すぎる!
いつか年をとって、そのとき愛する女性が傍にいてくれれば、
二人でレンタカーを借りて地中海を一年ぐらいかけて周りたい。
ナポリ~モナコ~ニース~コートダジュール~アンダルシア
まぁ、一人でも行くんだけれどね。

いまは旅行に連れて行ってくれる彼女に感謝してる。
頭はおかしく、遊び人で、刹那的な私を、
精神的に頼りにしてくれて、大事にしてくれる。

私は秋元康なみに演出にはこだわるタイプなので、
期待して楽しみにしていてね。

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2004.07.31

夭折

天才たちよ、安らかに眠れ!
姿亡き今も、
人々を癒すあなたたちを尊敬している。

私は何を残すことができるであろう。
一瞬一瞬の場面であろうか。
あなたたちの心の中で生き続けることができるであろうか。

自殺
ヘロインのオーバードーズ

真実を知ったものは、
拳銃か注射器を自身に向ける。

カミュ”シジフォスの神話”の冒頭部分の言葉。
「自分の生が生きるのに値するのか、むしろ自殺に値するのか否かを問う必要があるのではないか、それこそ哲学の唯一の中心的な問題である。」

芸術家は直接的にこれを実践した。
生き残るが哀れか、死ぬのが哀れか。
まだ私には分からない。

・・・・・分からない。

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2004.07.20

満天の星空

無性に星空が見たくなり、プラネタリュウムを見に行ってきた。
小学生以来だ、23年ぶり・・・

あまりにも綺麗で涙がこぼれた。

私は哲学なんぞに興味を持つほど理屈好きである。
美しきものに感動して涙を流す。~そこに理屈など存在しない。
時には頭を休めて感覚に身を浸す。
感じる心・・・なんて尊いの。

腐りかけていた私の心が少しずつ回復していく。

現代では見えなくなってしまった星空。
でも、太古の昔から輝き続け人々を癒してきたに違いない。

美しいと感じる心を授けてくれてありがとう。
その心を取り戻す手助けをしてくれた多くの人々に感謝しています。

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2004.07.08

プレゼント

悲しい人、優しい人、考える人
そんな人たちに送ります。
花火の映像とアンビエントな音楽です。
とても素敵です。
本当は1つ1つプレゼントしたいぐらいですが・・・
余裕があったら購入してみてください。

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2004.07.01

青い薔薇

遺伝子組換技術で青いバラが誕生した。

私は昔から青い花が好きだ。
とくに一人暮らしの時には青い花か白い花を飾る。
女の子と暮らしてるときにはオレンジの花が多い。

青い花は神聖な感じがする。
例えばブルーロータス。

ブルーロータスのサイコアクティブについて

 ブルーロータスの効果を実験する英国のテレビ番組が1998年に放映された。花を2,3日漬けておいたワインは飲んで15分ぐらいで効果を感じられる。「とてもリラックスする」「気分がよい」「幸せを感じている」などの状態が約2時間半ほど続いたというのがその結果である。多くの体験談でも同様なことが報告されている。
 1922年に古代エジプトの王、ツタンカーメンの墓が発掘された際、石棺の中にはブルーロータスの花が撒かれていたという。ブルーロータスは古代エジプト人に生命の起源と考えられ、気分の高まりと幸福感を生み出すと信じられていた。
    参考資料・オルタードディメンション研究会

だいたい、蓮(ロータス)の花自体が神聖である。
植物には不思議な力が宿っている。
サイコアクティブな植物については、リチャード・シュルツアルバート・ホフマンの共著、PLANTS OF THE GODS に詳しく書かれている。

最近は余裕がなくて花を生けることさえなくなってしまった。
そんな心ではいけないな。
青いバラか・・・見てみたいなぁ~。

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